<span itemprop="headline">関市洞戸 円空記念館</span>
円空さんとその仏像は大好きです。
鑑定団で偽物が出たことがあります。
本物はお顔が全然違います。
井浦さんは二枚もあります。
円空も梅原さんもシングルマザーの子、
母は円空を助け洪水にのみこまれたのか。
立木に梯子掛けて円空が仏像を彫ってる像は迫力。
江戸時代の人々はこの仏像に心救われたはず。
円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、江戸時代前期の修験僧(廻国僧)・仏師・歌人。特に、全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。
円空は一説に生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5,300体以上の像が発見されている。円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。その内愛知県内で3,000体以上、岐阜県内で1,000体以上を数える。また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。円空仏以外にも、多くの和歌や大般若経の扉絵なども残されている。
高賀と円空
円空の初期の仏像が郡上市美並町に残されていますが、その像は高賀神社の神像とよく似ていて、円空はかなり早い時期に高賀神社を訪れているのではと言われています。つまり円空仏が作り出された最初の土壌に、高賀山信仰があったことは間違いないと言えます。
さらに晩年、歓喜天を彫って入定を決意した場所も高賀であり、自分の意思を貫いた証として、出発点である高賀神社に錫杖と硯を納めたと考えられ、円空にとって高賀は、特別な地であったに違いありません 。
さらに晩年、歓喜天を彫って入定を決意した場所も高賀であり、自分の意思を貫いた証として、出発点である高賀神社に錫杖と硯を納めたと考えられ、円空にとって高賀は、特別な地であったに違いありません 。
全国から山伏や信者が参拝に訪れた高賀神社は円空ゆかりの地としても有名です。 高賀渓谷のせせらぎに誘われるかのように村を訪れた円空さん。この地で入定の決意を 固め、最後の作品といわれる歓喜天を彫ったといわれています。円空記念館(平成7年7 ...http://www.city.seki.lg.jp/0000000639.html
子供が背負って遊んだり病人に持たせてその病を癒したりした
覚王山の鉈薬師
円空さんも五穀を断って即身成仏されたのですよね。
生きながら仏になるとは。とても凡人には考えも付きません。
円空館
岐阜県関市池尻185 |
tel.0575-24-2255 |
9:00〜16:30 |
月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日(土・日・祝日を除く)、年末年始(12月29日〜1月3日) |
大人:200円 (団体20人以上150円)、中学生以下:無料 |
洞戸円空記念館
岐阜県関市洞戸高賀1212番地 |
tel.0581-58-2814 |
9:00〜16:30 |
月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日(土・日・祝日を除く)、年末年始(12月29日〜1月3日) |
大人:200円 (団体20人以上150円)、中学生以下:無料 |