<span itemprop="headline">奈良正倉院展と京都に~</span>
正倉院展最終日はわりとスムーズに見学できました。
正倉院展のお抹茶、正倉院、東大寺
京都のレトロ建築
平重盛の庭園、新しいホテルが整備しました。
詳しくは後日に。
追記 こゆきさんに教えていただきました。
旧富士ラビットスクーター
・・・・牛丼屋として再生された大正モダンな旧自動車販売店
今回紹介させていただくのは、関根要太郎の設計作品・旧不動貯金銀行七条支店(昭和5年築)から七条通りを西に百数十メートルほど歩いた場所にある建物。http://fkaidofudo.exblog.jp/12645994/
・・・・牛丼屋として再生された大正モダンな旧自動車販売店
今回紹介させていただくのは、関根要太郎の設計作品・旧不動貯金銀行七条支店(昭和5年築)から七条通りを西に百数十メートルほど歩いた場所にある建物。http://fkaidofudo.exblog.jp/12645994/
最後の写真は東山七条にある平重盛の山荘庭園と伝える「積翠園」です。
10月にオープンしたホテルの庭園になりました。
積翠園の敷地は、もとは南側に隣接している寺院「妙法院」の境内でした。昭和29年(1954年)に専売公社が買収し、京都専売病院が管理してきましたが、平成17年(2005年)から病院の経営が移譲され、東山武田病院となりました。
妙法院は比叡山にはじまり、天台宗延暦寺別院として、平安時代末期に洛中に移転しました。応仁・文明の乱(1467~77年)で焼失しましたが、桃山時代までには現在地に落ち着き、豊臣秀吉により復興されました。今の庭が形作られたのは、江戸時代の元禄年間(1688~1704)の初め、尭恕法親王(ぎょうじょほっしんのう、3度天台座主を務めた)が門主であったころと考えられています。
ただし、作庭時期については、中島に沿って池中に直線的に配された5つの石が古い様式の「夜泊石」とも考えられることや、『平家物語』(長門本)の六波羅の項の記述から、積翠園はかつての平重盛の別邸小松殿の庭であり、時代は平安末期までさかのぼると考える説もあります。