riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">田部井順子さんをしのんで</span>

ドキュメンタリ「最後の山ヘ」を観ました。

亡くなる3カ月前に福島の高校生と富士山へ、お連れ合いに助けながら

抗がん剤に苦しんで。ガンだけでなく…

本当に抗がん剤など効くのでしょうか。

田部井さんは乳ガンから始まった。

手術の後はすぐ山に行きかえって気が晴れたのでしょうね。

チャリティコンサート?で可愛いドレス、ウイッグ姿で歌う田部井さんのチャーミングなこと

小学校の先生が登山好きで田部井さんも目覚め、お連れ合いも登山家。

女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。イオニアの方でした。




去年10月、腹膜がんで亡くなった登山家・田部井淳子さん(享年77)。女性として世界初のエベレスト登頂を果たすなど活躍した田部井さんにとって、人生最後の山となったのが去年7月の富士山だった。被災地・東北の高校生を引率し、思うように動かない身体で頂上を目指し続けた田部井さんの姿を、同行したNHKのカメラが記録していた。「一歩一歩進めば必ず頂上にたどり着ける」。田部井淳子さんが残したメッセージを見つめる

【出演】登山家…田部井淳子,登山家…田部井政伸,元エベレスト日本女子登山隊…北村節子,【語り】宮本信子

宮本信子の語りが又迫真
上手すぎます、声も鍛えているから。

田部井 淳子(たべい じゅんこ、1939年9月22日 - 2016年10月20日[2][3])は、日本登山家。女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。福島県田村郡三春町出身。既婚。一男一女あり。旧姓は石橋[4]

小学4年の時に福島県安達太良山に登ったことが登山家への意識の芽生えになったと言われている。 三春小学校卒業。 1962年昭和女子大学英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳穂高岳でのクライミングに熱中する。 1965年、佐宗ルミエと共に、女性ペアによる初めての谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功(12月19-20日)[6]1969年、「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に女子登攀クラブを設立。翌年にアンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功。 1975年、エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功。その後、日本女性で登頂したのは難波康子(1996)で、田部井が登頂成功した21年後である。ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞朝日体育賞1988年福島県民栄誉賞第1号、埼玉県民栄誉賞、川越市民栄誉賞、三春町名誉町民、エイボンスポーツ賞 1992年、1988年のマッキンリー、1991年のビンソンマシフに次いでエルブルス山に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる。文部省スポーツ功労賞。 1995年内閣総理大臣賞。 1999年、旧ソ連7000メートル峰5座の登頂により、スノー・レオパードの称号を得る。(日本女性初) 2000年3月九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了(研究テーマ:エベレストのゴミ問題) 年7~8回海外登山に出かけるかたわら、山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト、略称HAT-J(ハット・ジェー)の代表を務めた。 2016年7月東日本大震災被災者への支援活動として東北地方の高校生らとともに富士登山に参加、これが生涯最後の登山となった[3]