<span itemprop="headline">こんなに付箋貼った本はありません、1945年のクリスマス</span>
棟方さんが渡米した話はわらび座のミュージカルで知りましたが
「天衣無縫の国際人棟方」
男女平等を盛り込んでくれました。
当時の担当者たちは理想の国を目指して世界の先進的な憲法を研究。
ベアテさんのことは
知っていましたが
米国に行った後の芸術監督としての仕事はこの本で知りました。
ベアテさんでさえ子供育てながらの仕事探しは苦労が多かったのです。
6ヵ国語話せて海外生活の経験もありなのに。
夫は理解ある人で教授にもなれたのに生活のために
不動産の仕事をしました。
ベアテさんの才能を発揮させたかったのでしょう。
当時珍しい人でしょう。素晴らしい。
両家の娘は大学出ても働かず、専業主婦が多い時代でした。
6ヵ国語話せて海外生活の経験もありなのに。
右上の写真真ん中で立ってる女性が市川房枝
まだ女性が働くことが少なかった保守的な米国の女子大生に講演
始めは懐疑の女子大生も…
そのほか、淡路人形や京劇などアジアの芸術団を招いて
公演させた素晴らしい業績。
感謝し尊敬しているベアテさんの芸術的な面を知ることができ
パワーを貰えます。
この本紹介しきれません、ぜひお読みください。
22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草で人権条項作成に関与した。 日本では日本国憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった。戦後はニューヨークに居を構え、ジャパン・ソサエティ、アジア・ソサエティのプロデューサー・ディレクターとして世界の民俗芸能を米国に紹介。アジア・ソサエティを退職後、パフォーミング・アーティストを集めて世界中を公演するキャラバン(文化交流事業)の実現を目指した。