riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">この話は、幼い頃に傷病兵として生還した、手足のないおじさん達に銭湯で背中を流してあげながら何度も聞かされました。 子供心に戦争ってなんて惨い事なんだろう</span>

「戦場で、二メートル先でアメリカ軍の兵士が便をしているのに気づいた。私も隊列から離れて小用を足していた。二人の目が合ったとき、私は恐怖の目だったろうか、相手も震えていた。しかし二人とも静かにそこから離れていった。鉄砲を撃つことなど考えずに逃げました。振り返ると相手も走って逃げていた」



「私は特攻機の整備兵でしたが、出撃のときには隊員の誰しもが震え、失禁し、茫然自失となり、そして体を硬直させる。そういう彼らを強引に飛行機に乗せる役、それも私たちの役目でした。私は人を殺めたという思いに、戦後ずっと苦しめられています」

「私の大隊仲間のほとんどが戦死しました。インパールで、です。水を飲みたい、水を……と言って死んでいった者が多いのです。こんな作戦を考えた参謀を私たちは今も恨んでいますし許していない。それが死んだ仲間への供養なのです。戦後、司令官が畳の上で死んだと聞いたときは、腹が立ってたまらなかった」

「撤退のときに重傷で動けない兵士には、青酸カリを飲ませます。捕虜にさせないためです。衛生兵の私は、彼らの口を開いて飲ませましたが、彼らが口を開けまいとするその姿を思い出すと……辛いのです」

保阪政康さん 「太平洋戦争を読み直す」より。

次は熱狂信者の番ですなあ。頑張れよ。


転載元: 情報収集中&放電中