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riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">金の殿、徳川宗春ドラマ♪</span>



徳川宗春を演じた役者を描いた『夢の跡』の一頁

7代尾張藩主・徳川宗春が、現代名古屋にタイムスリップ
現代名古屋の礎を築いた 徳川宗春が、江戸時代と現代を自由自在に飛び回る!
奇想天外・歴史ドラマ×ラブ コメディ
-------------------- 「金の殿~バック・トゥ・ザ・NAGOYA~」

脚本は超高速参勤交代の土橋氏
続編では宗春は悪役でした

始めはこのドラマ軽すぎると思いましたが、冤罪を知り罪人を簡単に死罪にするな等いいことを言います。監修は薬膳ラーメン屋さんでお目にかかった安田文吉教授

尾張藩では彼の治世では死刑は一度も行われなかった

冤罪は国の恥 天下の政治は緩急自在と、残しています。

朝日文左衛門の話も。
鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき)は、元禄の頃、尾張藩尾張徳川家の家臣であった朝日重章日記である。
鸚鵡籠中記の公開がはばかられた理由は、尾張藩への批判や醜聞が記載されていたためと考えられる。例えば4代藩主徳川吉通の大酒などの愚行を記述し、藩主と追従する重臣を批判している。またその生母本寿院の好色絶倫な荒淫ぶりをいくつも記載していたり、当時の生類憐愍の令について、尾張藩においてほとんど取り締まりをサボタージュしていた事実も記載されている[1]

宗春を演じてるのは3丁目の夕日の須賀健太

前回はバクテンまで披露してくれました。子役から出発すると何かと大変ですが
毎回アイドルや美女が登場するのですが、今回は面白かった



借物画像、栄にこんな派手なポストが有るそうです!


宗春は
政治宣言の著述『温知政要』を著す。同年4月、名古屋城へ入る。名古屋入府の際の宗春一行は、華麗な衣装を纏い、また自身も鼈甲製の唐人笠と足袋まで黒尽くめの衣装(金縁・内側は赤)と漆黒の馬に騎乗していたという。
宗春は名古屋に戻ると、4代藩主吉通の御簾中瑞祥院(九条輔子)の実家の九条家に3千両を寄付し、朝廷との関係を大切にした。名古屋城下では、東照宮祭・尾張祇園祭(若宮祭・三之丸天王祭)・1ヶ月半にも及ぶ盆踊り等の祭りを奨励した。また、女性や子供が夜でも歩ける町にするために、提灯を城下に数多く置いた。継友時代に廃れていた御下屋敷(名古屋城下、藩主の隠居所)を建て直し、そのお披露目の際に城下の女性と子供を呼んで踊りの大会を丸2日間行わせ、その際に奉行以上の重職たちにも閲覧させている[注釈 8]藩士に城下の芝居などの見物も許可した。
当時の幕府は享保の改革を推進する将軍徳川吉宗のもと、老中松平乗邑の主導で質素倹約規制強化が徹底しており、祭りや芝居などは縮小・廃止されていた。それと全く逆を行く宗春は、規制緩和をして民の楽しみを第一に政策を進めていく。緊縮財政・法規制の強化をする幕府に対し、開放政策・規制緩和(消費奨励ではない)の尾張藩となっていった。ただし規制緩和のみではなく、神社仏閣への公式参拝には束帯騎馬の正装で赴き、幕府の法令も先回りするなど、宗春は幕府に対立する姿勢は全く見せていない。むしろ幕府の法令を遵守するように命じて、大切な形式はしっかりと守っている。一方、巡視などでは朝鮮通信使の姿・歌舞伎・能の派手な衣装で出向いたり、時には白い牛に乗って町に出たり、民衆が喜ぶ服装を工夫した。名古屋城下郊外に芝居小屋や遊郭等の遊興施設を許可するなど規制緩和政策は、商人たちに受け入れられ、名古屋の町は賑わっていった。
享保17年(1732年)正月、自身の著書『温知政要』(21箇条)を藩士に配布した。3月には『條々二十一箇條』を発布した。その中で「行き過ぎた倹約はかえって庶民を苦しめる結果になる」「規制を増やしても違反者を増やすのみ」などの主張を掲げた。これらの政策には、質素倹約を基本方針とする幕府の享保の改革による緊縮政策が経済停滞を生み、蝗害による不作も重なり、各地で暴動が頻発していたことへの反発があると言われている。なお、幕府の倹約経済政策に自由経済政策理論をもって立ち向かったのは、江戸時代の藩主では宗春だけである[注釈 9]

ロケ地は東山動物園や大須観音(宗春のからくり時計があります)、名古屋港シートレインランド等、テレビ等付近など


2017年4月1日に名古屋の金城ふ頭にオープン、大人6900円
親ごさんは大変ですね。知人はパスポート買うと、一体いくら?