2017-03-14 続名古屋ウィメンズマラソンと女子陸上の歴史 スポーツ 0 賑やかで楽しそう。ドレスでも走る 地元の高橋尚子選手が出た時は大声援でした。 イスラム系の方も走られたのね。 力走されてますピンクのコーンも可愛いでしょう~ 1,2,3位が並んでます。 2017年:ユニスジェプキルイ・キルワ2016年:ユニスジェプキルイ・キルワ2015年:ユニスジェプキルイ・キルワ2014年:エレナ・プロコプツカ2013年:木﨑良子 キルワさんはもう10歳ぐらいのお子さんのお母さん、 素晴らしいですね。 心肺停止が3人も! 新聞左の方、完走祝福するティファニーの薔薇 第1回のアテネオリンピックの当時、陸上競技は男子のみで行われており、女子マラソンはありませんでした。 しかし、当日メルポメネという女性が隠れて同じコースを走り、彼女が史上初の女子マラソンランナーとされています。 その後、女子の陸上競技への参加が認められるようになっても、女子マラソンは「生理的に困難」と広く信じられ、オリンピック以外でも女子マラソン大会は開催されずにおりました。 1966年、ボストンマラソンで主催者に隠れて参加したギブというアメリカ人女性が、3時間21分40秒というタイムで走り切りました。その後も年を追って非公式の女子の参加者が増えたため、1972年にようやく女子の参加が認められたのです。 1970年代に入ると、「ひとりの小柄な日本人女性」が出現します。1974年のボストンマラソンを2時間47分11秒というコース新記録で制したのは、体重40kg、ランニング歴5年にすぎない38歳の「ゴーマン美智子」でした。 人見絹枝たちを育てた二階堂トクヨ