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riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

岡幸二郎ブルーノートライブ

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花見の後は昨年のクリスマスコンサート以来の岡幸二郎ライブです
 
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本日のアーティストカクテルは
梅酒、ゆずシロップ、クランベリー・グレープフルーツジュース、
シュガーシロップ、トニックウォーター、ソーダ入り
ノンアルコールもあり、1000円
 
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ホットアップルケーキ、
ノンアルコールカクテルにすれば良かったけどこれが一番安い900円
以前は美味しい軽食もあったのですが。
中川晃教の時は激混みで注文されない方もいました。
 
この日は5時開演、宣伝も効いてないのか拍子抜けするほど。
並ばなくても入れました。
 
伴奏のピアニストは妹尾武岡さん以上?長身
指の動きも見えてラッキーでした。見えても弾けないのですが
 
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ライブ終わってもまだ6時半で明るい、春ですね。
右の建物は建築賞受賞の丸栄、壁のタイル画面白い。
 
妹尾武さんは
甲南中学校・高等学校を経て桐朋学園大学音楽学部卒。平吉毅州に作曲を師事。 1994年、大学在学中に作曲した「So Heavenly.」がサウンド&レコーディング ・マガジン誌上での細野晴臣監修のオーディションにて優秀作に選ばれ、 同曲がコンピレーションアルバム「ecole」(EPIC SONY 1995年) にSenoo名義で収録されたのを機にプロとしての活動を開始。 同作品はフジテレビ系深夜番組「かしこ(監督:片岡K)」のオープニングテーマに起用された。
 
とても良い演奏でした。
岡さんの真正面には男性がその方も対峙され…
 
岡さんの視線は髪が綺麗な白い女性に多く注がれていたような気がしますwww
私は一番前の隅。
 
岡さんは自分は暗い。さだまさし中島みゆきが好きだと言えば…
それに中森明菜も好きと言ったら言えば相当暗くなると笑わせてました。
 
さだまさしの「たいせつなひと」歌詞ページ。「たいせつなひと」は、作詞:さだまさし、作曲: さだまさし。 ... その手を離さないで
不安が過ぎゆくまで哀しみのほとりで出会った その 温かい手を※ 寂しいと口にすれば 生きることは寂しい喜びと悲しみは 光と影のように ...
 
言魂コンサートは自分の好きな歌を歌うと言う事でミュージカルは
レ・ミゼの「彼を帰して」のみ
 
昔は苦手だったシャンソンも1曲サクランボの実る頃、加藤登紀子の歌が有名、
ジブリ紅の豚でも歌われました。
 
さだまさし中島みゆきの歌が多かった。
 
さだまさし 大切な人
 
玉置 浩二は天才
 
物まねメロディの話も出ました。
 
アンコールはアメイジンググレイス アメイジンググレイス(英語:Amazing Grace、和訳例:すばらしき恩寵
 
作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)。作曲者は不詳。アイルランドスコットランド民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。
ジョン・ニュートン1725年イギリスに生まれた。母親は幼いニュートン聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症脱水症状栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。
1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
この曲のほかにも、彼はいくつかの賛美歌を遺している。
 
驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。
神の恵みが私の心に恐れることを教えた。
そしてこれらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。
多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私はすでにたどり着いた。
この恵みがここまで私を無事に導いた。
だから、恵みが私を家に導くだろう。
そこに着いて一万年経った時、
太陽のように輝きながら
日の限り神への讃美を歌う。
初めて歌った時と同じように。