riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

中日春秋

 沖縄には「艦砲の食い残し」という言葉がある。鉄の暴風と形容された沖縄戦の艦砲射撃で家も家族も食い尽くされた。その食い残しが、生き残った自分たち。言い尽くせぬ悲しみと虚(むな)しさが結晶となった言葉だ

▼<♪うんじゅん 我(わ)んにん/いゃーん 我んにん/艦砲(かんぽー)ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー…>。あなたもわたしも、おまえもおれも、艦砲の食い残し。そんな歌が大ヒットしたのは、戦後三十年を迎えたころだ

▼仲松昌次さんの労作『「艦砲ぬ喰ぇー残さー」物語』によると、作詞作曲した比嘉恒敏(ひがこうびん)さんは、対馬丸の沈没で父母と長男を失い、働きに出ていた大阪での空襲で妻と次男を失った

終戦後、廃虚となった故郷の村に帰って生活を再建させたが、米軍基地建設のため強制的に立ち退かされた。そんな自分の歩みを、民話を語るような木訥(ぼくとつ)とした口調と明るい曲調の島唄にしたのだ

▼だが、比嘉さんが、この歌のヒットを見届けることはなかった。本土復帰の翌年、飲酒運転の米兵が起こした事故で、五十六歳で命を奪われてしまった

▼沖縄の新聞・琉球新報に最近、七十七歳の方が詠んだ琉歌が載っていた。<野山(ぬやま)揺るがする艦砲の音(ぬうとぅ)やこの年(くぬちゃ)なるまでも追うてきよ(でぃんうーてぃちゅー)さ>源河朝盛(げんかちょうせい)。七十二年たっても止まぬ戦争の響きがある。「艦砲ぬ喰ぇー残さー」という言葉は今も痛みを伴って脈を打っている。きょうは、沖縄慰霊の日だ。

 

沖縄を観捨てることは本土もそうなる事。

 

 

恥ずかしいことに沖縄のカメラマン石川真央氏を知りませんでした

 

Eテレハートネットで観ました。

2017年6月20日 - 沖縄にこだわり、沖縄に生きる人々を撮り続けて来た写真家、石川真生さん。石川さんは 写真家人生40年を過ぎた今、16世紀から現在に至る”沖縄の歴史”を創作写真で表現 する作品“大琉球写真絵巻”に取り組んでいる。撮影では地元の人々 ...

 

昔はソフィア・ローレンに憧れた石川さん、
ガンが再発しても不屈の精神!
治せばいいよと。
ここにも立派な人がいます。
石川さんの写真はユニーク、
薩摩と沖縄の武士が対決する場所は辺野古
 
今の沖縄と繋がっている。
 
写真を撮ると昔のあの事はここにつながってると分かってきた。
 
悲惨な事を楽しく、でなければ生きられない。
 
沖縄戦再現は知人の子供にはやってもらえない、孫が出てくれた。
 
機動隊が辺野古で反対運動がんばってる人たちに「土人」と浴びせかけたのは…
 
 
 
オスプレイに乗った米兵が沖縄を襲う
被害者も土地の人に演じてもらって撮影する、ユーモラスに。
 
米兵とホステスの写真を撮った石川さん、
 
石川さんの写真に救われたと言うマリアさん
 
白は10ドル、フィリッピ-ナは7ドル、黒は3ドル、これが児童手当
 
白を産んだら大したもの、大きくなったらパンパンになれる
 
これは駄目でしょうとマリアさん
色で差別するのはおかしい
 
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