riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

尹東柱(ユン・ドンジュ)空と風と星と詩

尹東柱ユン・ドンジュ)空と風と星と詩を読みました。
映画よりこたえます。
 
映画の感想はこちら
 
引用です。
1945年2月16日、福岡刑務所で獄死した(満27歳没)。なお、獄中で注射を繰り返し打たれていたことから毒殺を疑う説もある[6]。絶命前に言葉を叫んでいるが、日本人看守には理解されなかった。尹東柱について書かれた伝記の中には、この言葉を朝鮮語であったろうと推測するものもある[7]。遺体は父が引き取り、龍井の東山教会墓地に葬られた。なお、ともに投獄された宋夢奎も3月10日に獄死した。
 
 
1968年には母校延世大学校において、尹東柱が暮らした寄宿舎の前に「尹東柱詩碑」が建立された。
尹東柱を偲ぶ会は1992年2月16日が尹東柱を顕彰するために同志社出身のコリアン(南北・国籍・ニューカマー等問わず)を中心に組織された。主として同志社大学を中心に活動。但し会員は広く門戸を開いている。よって 詩を愛する人、クリスチャン、歴史的な観点、等々様々な立場の人間が参加している。参加者は日本人・韓国人を問わず自由である。
また、京都の下宿(左京区田中高原町)は、その後京都造形芸術大学の敷地の一部となっている。2006年6月、京都造形芸術大学内の下宿跡地に「尹東柱留魂之碑」が建てられている。
WIKIより引用終わり
 
 
「それぞれの作品に年月日が付されているがそれは西暦
 
「詩人尹東柱の詩を決定づけた物証が、日本政府により禁止された母国語、朝鮮語による創作ノートで有った。
 
同じ獄につながれた従兄弟宋夢奎(ソン・モンギュ)も骸骨さながらの状態で死に追いやられた。
 
あえて日本に来た二人
 
なよまよしい詩心が圧倒する圧制の嵐の中でかぼそい生身を支え切り
奥歯も砕けんばかりの変節の強制を命に替えて拒否しさった意志の核であったとはただ息をのむばかりの抒情の質だ」 金時鐘
 
 
 
 
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥いることもないことを
葉あいにおきる風にすら
私は思うわずらった。
 星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩いていかねば。
 
今夜も星が 風かすれて泣いている。1941.11.20(金時鐘訳)
 
以下も引用
 
尹東柱ユン・ドンジュ
詩集「空と風と星と詩」から  『序詩』
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)
 
死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥ずることなきを
葉あいを縫いそよぐ風にも
わたしは 心痛めた
星を うたう心で
すべて 死にゆくものたちを愛しまねば
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば
今宵も 星が風にーーむせび泣く
 
山の辺を巡り田園のそば 人里離れた井戸を
独り尋ねては そっと覗いて見ます。
井戸の中は 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い風が吹いて 秋があります。
そして一人の男がいます。
なぜかその男が憎くなり 帰って行きます
帰りながら ふと その男が哀れになります。
引き返して覗くと男はそのままいます。
またその男が憎くなり 帰って行きます
帰りながら ふと その男がなつかしくなります
井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い風が吹いて 秋があり
追憶のように男がいます
4.愛の殿堂   (1938年)
5.たやすく書かれた詩 (1942年6月3日 立教大在学中) ←←すばらしい!「幼友達をみな失い」というくだりは、朝鮮語の詩を書くことでしか「抵抗」できない自分自身のふがいなさを詩っていると感じられる。
窓辺に夜の雨がささやき
六畳部屋は他人の国、
詩人とは悲しい天命と知りつつも
一行の詩を書きとめてみるか、
汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う
送られてきた学費封筒を受け取り
大学ノートを小脇に
老教授の講義を聴きにゆく。
かえりみれば 幼友達を
ひとり、ふたり、とみな失い
わたしはなにを願い
ただひとり思いしずむのか?
人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。
六畳部屋は他人の国
窓辺に夜の雨がささやいているが、
灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、
時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、
わたしはわたしに小さな手をさしのべ
涙と慰めで握る最初の握手。

6.序詩      (1941年11月20日)
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)
(注:立大チャペルでの追悼会は当初から伊吹訳が使われてきたと、受付の女性から聞いた。河津さんが指摘した訳詩の違いは、知らなければ見過ごすところだが、別訳を知ってしまった以上は、こちらの方が自然で相応しいと感じてしまう。→→すべて死にゆくものたちを愛しまねば
 
この詩集は購入して時折読みたいです。