riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

蒲郡(がまごうり)海辺の文学記念館

入場無料火休み  海辺の文学記念館
 
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立派な建物の前につきものだった植えこみ、
なんというのでしょうか。
ここでお茶をたててくれる着物姿の女性がこれがあるから見えなくて
お客さんが来てくれないと嘆いてました。
 
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大きな欄間!
外にあったらしい。
 
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常盤館にあった大きなシャンデリア
 
宴会場の老松図は長い間行方不明でしたが
名古屋にあり買い戻して市役所にあると、
ここの女性からの伝聞です。
 
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扉の透かし彫りいいですね。
この壺が年代物で価値があるそうです。
 
この壺には花など活けてはいけないと言われてるそうです。
でもきれいでしょう。
文学館の庭のお花です。
 
 
  
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 映画「父よ母よ」のロケの時詠んだという、
 
 
橋が意外と長いのです、しかもその先には急な階段、
今回は寒かったので登れました。
だんだん背中から暖かくなりました。
浜松のガーデンにも木下氏の碑や花壇があります。
浜松生まれ
映画観ました。2013年平成25年)6月1日、木下の戦時中のエピソードを基とした伝記映画はじまりのみち』(監督:原恵一)が公開された
 
ジャンルは多様だが、大まかに分けると『二十四の瞳』などの抒情的なメロドラマ、『カルメン故郷に帰る』などの喜劇、『日本の悲劇』などの社会派の3つが挙げられる。時代背景を風刺した作品も多く、『カルメン純情す』では当時加熱していた再軍備運動が描かれており、『女の園』では封建制度を糾弾するテーマになっている。
 
 
 
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このお茶碗は瀬戸?常滑?から来た職人さんが
この上の山で焼いています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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手前が海辺の文学館、右上が蒲郡クラッシックホテル
(がまごうり)

1912, 明治45年, 滝信四郎が常磐館を開業. 1934, 昭和 9年, 蒲郡ホテル完成(リゾート ホテル建設のため大蔵省30万円、常磐館の経営でもあった名古屋の織物商・滝信四郎 氏の寄付金10万円、合わせて40万円の資金で昭和7年に着工、設計は元鉄道省の 建築家久野節氏と村瀬国之助技師、施工は大林組)、鉄道省より第1回国際観光ホテル に指定される(2月). 昭和10年, 三谷町丘上に子安弘法大師立像を滝信四郎氏個人に て建築寄付(完成は昭和13年). 昭和12年, 竹島海岸に竹島館(大衆旅館)を新築、蒲郡 町 ...

蒲郡クラシックホテルの歴史 - 蒲郡クラシックホテル

 
蒲郡市は、「海の眺めは蒲郡」と鉄道唱歌に歌われた景勝地で、とくに本市のシンボル「竹島」とその周辺の海岸は東海地方屈指の保養地として多くの人々に親しまれてきました。 とりわけ、明治末期に、名古屋の実業家・滝信四郎氏により竹島海岸に建てられた料理旅館「常磐館」からの眺めは格別なもので、大正・昭和期にわたり多くの文人たちに愛されました。 大正11年、菊池寛の作品「火華」にはじめて常磐館が取り上げられた後、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成、井上靖など文人たちにより、常磐館そして蒲郡の海や竹島の素朴な美しさが作品の中に描写されました。以来、「蒲郡の常磐館」は、全国にその名をとどろかせました。
 しかしながら、名声を高めた常磐館は、建物の老朽化と世相の移り変わりに対応できなくなり、惜しまれつつも廃業となって、昭和57年に取り壊しとなりました。常磐館がなくなって久しく年月を経ましたが、市民そして常磐館を愛した人々の心の中には、今も存在しています。そうした、「常磐館への強い想い」、いわゆる「常磐館文化」を、後世にいつまでも継承していくために、この「海辺の文学記念館」は建設されました。当館は、常磐館にまつわる文化的・歴史的価値を少しでもよみがえらせ、蒲郡市に文化振興の拠点となるよう、常磐館があった同じ地に建てられています。 また館内には蒲郡市出身の直木賞受賞作家「宮城谷昌光氏」や芥川賞受賞作家「平野啓一郎氏」の作品なども展示してあります。