riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

今の日本人が学ぶべき「アイヒマンを追え」

 

   

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録画してやっと観た「オケ老人」と「アイヒマンを追え」
前者も良かったのですが後者は特に今の日本人には大事だと思いました。
 
この映画の中に
ローザ・ルクセンブルクの写真が出てきて、映画が懐かしい。
同じ監督が映画「ハンナ・アーレント」も作ったのに未見。
 
 
 
 
アイヒマンを追った検事長がテレビ対談に出演し
 
「ドイツには良い憲法がある」と言う若い人に
 
「ドイツの森や山は誇れない
われわれが作ったものではないから
 
ゲーテやシラ―もアインシュタインも誇れない、
彼らの業績は彼らのものだから
 
我々が誇るべきは父、母、子として毎日何を行うか。
 
善行を行う事だ
 
大切なのは民主主義であること
というような意味の事を言います。
 
当時も反響があったようです。
 
バウアーは検事長なのに、戦後も捜査機関に巣くうナチスの残党に脅迫されたり危険な目に会い、スリル満点の映画になってい案す。
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イケメン監督と主演俳優、
映画ではバウアーにそっくり
 
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以下も引用です。
自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかったまさにこの想像力の欠如のために、彼は数ヶ月にわたって警察で訊問に当るドイツ系ユダヤ人と向き合って坐り、自分の心の丈を打ちあけ、自分がSS中佐の階級までしか昇進しなかった理由や出世しなかったのは自分のせいではないということをくりかえしくりかえし説明することができたのである」
自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。
 
これは今の政治屋、官僚やマスごみにも当てはまりませんか。
 
アイヒマンのナチの帽子かぶった顔は綺麗な顔なのに
50代では別人のような哀れな顔、逃亡の果てに…
 
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第2次世界大戦後、海外へと逃亡したナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの捕獲作戦を実現へと導いたドイツ人の検事長フリッツ・バウアーにスポットを当て、バウアーがいかにしてアイヒマンを発見し、追い詰めていったのかを描いた実録ドラマ。1950年代後半のドイツ・フランクフルト。ナチスによる戦争犯罪の告発に執念を燃やす検事長フリッツ・バウアーのもとに、数百万人のユダヤ人を強制収容所送りにしたアドルフ・アイヒマンの潜伏先に関する情報が寄せられる。ナチス残党が巣食うドイツの捜査機関を避け、イスラエルの諜報機関モサドと接触したバウアーは、アイヒマンを追い詰めていくが、同じ頃、バウアーの失脚を狙う者たちが策略をめぐらせていた。
 
以下も引用です。
公開された映像では、アルゼンチン・ブエノスアイレスに潜伏中のアイヒマンがインタビューに答えるさまを切り取っている。ユダヤ人問題はどう解決すべきだったか?との問いに、
 
アイヒマンは「1030万人のユダヤ人全員を抹殺できていたら、血と民と自由を守れたのだが。私の罪はそれを完遂できなかったことだ。敵の根絶方法は私が提案したのだが、中途半端だった。それが私の罪だ。もっと徹底すべきだった」と平然と言い放つ。
人類史上最悪ともいえる事件を引き起こした“戦犯”の底知れぬ闇が浮き彫りになるシーンだ。
本作では史実に基づいた作品作りが行われているが、劇中に登場するアイヒマンの肉声インタビューテープは実在するという。劇中には、ナチ占領下のオランダでナチスプロパガンダのための印刷物を作り、戦後はアルゼンチンへ逃亡後アイヒマンのインタビューを行ったことで知られるビレム・ザッセンも登場する。
 
オーストリアにおける子供時代、アドルフ・アイヒマンはやや暗い顔色をしていたため、他の子供は「ユダヤ人」のように見えると彼をあざ笑った[8](当時のオーストリアは、ユダヤ人が居住するウィーンを中心に反ユダヤ主義が日常的に蔓延していた)。アドルフは学校の成績が悪く、リンツのカイザー・フランツ・ヨーゼフ国立実科学校を卒業することができなかった[4]。なお全くの偶然であるが、アドルフ・ヒトラーもこのカイザー・フランツ・ヨーゼフ国立実科学校に通っていたことがあり、同じく卒業できずに退学している。