riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

京都、奈良から初めての大和郡山市へ♪

京都から奈良、大和郡山へ

 

 結婚式場のホテルの内装はこちら↓

初めての大和郡山市♪

イメージ 1
 
 
 
始め京都1泊のつもりが京都奈良(国宝展と正倉院展など)では無理だと思い安いホテルをネットで探しました。
それが結婚式場のホテル、駅前とも知らず
 
京都から奈良、大和郡山へ←ホテルの内部はこちら
イメージ 2
 
 
ホテルの近場を散歩、壺が並んでると思ったら
 
窯元さんでした。
イメージ 3
 
 
 
イメージ 6
 
深夜まで踏切の音がやかましいはずでした。
 
イメージ 4
 
 
狭い道を通勤時間なので自転車や車がすり抜けていきました。
イメージ 5
 
 
菊が見事なお宅、可愛い金魚がぶら下がっています。
 
 
大和郡山市の探検の始まりです。
 
こちらでは金魚と言えば弥富なのですが
大和郡山市は金魚の街とmimiさんに←教えていただきました。
 
イメージ 7
 
ワンちゃんのお散歩↑
散歩に最適、整備された外堀緑地
 
 
古代の大和国添下郡村国郷、矢田郷、添上郡大宅郷、平群郡額田郷の地である。延喜式内の矢田坐久志玉比古神社(矢田町)や菅田神社(八条町)、賣太神社(稗田)が鎮座する。
都市の形が形成されたのは、戦国時代末期に筒井順慶郡山城に拠り、その城下町が発達してからである。順慶亡き後1585年豊臣秀長(当時羽柴秀長)が郡山城に入り、郡山はこの時期大和国の中心都市として栄えた。
 
イメージ 8
 
 
 
 
豊臣政権下でNo.2の役どころである秀長が、その官位も大納言に出世し、郡山城を大きく拡張・・・現在に残る城の様子や…
 
ただ・・・
その権勢ゆえ築城に関わる人材は豊富であったものの、石の少ない大和では、築城のための石をめぐって争いが起きたとも言われ、現在残る天守閣の石垣を見ると、知らずに行った方は、一瞬、ドキッとされるかも知れません。
 
お城は行ってません
 
大正時代の杉山小児科医院も見逃しました
 
 
 
イメージ 9
 
 
 
 
イメージ 10
 
 
鳩?造り物でした。
 
イメージ 11
 
 
 
イメージ 12
 
 
 
 
 

 

 

箱本・続大和郡山

 

イメージ 1
 
 
散歩に最適の整備された外堀緑地から歩いて紺屋町へ
道路の中央に水路が通りお城の堀と繋がっています。
当時13軒の紺屋が染め上げた布や糸をさらしていた。
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
箱本十三町マップより
洞泉寺 国重文の阿弥陀如来と両脇侍立像(鎌倉中期)で知られる寺
このあたり一帯は江戸時代からの遊郭の後で、細い路地の両側に格子の古い家並みが続く趣のある町
間違っていたらご指摘ください。11月9日の事です。
イメージ 7
 
美しい木造3階建て、遊郭
 
 
 
イメージ 8
 
 
次は歌舞伎義経千本桜で有名な源九郎稲荷神社
先代、当代猿之助勘九郎も舞台成功祈念に訪問しています。
 
なぜか急に画像がUP出来なくなりました。トホホ