riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

玉三郎丈松尾芸能賞大賞受賞おめでとうございます!

舞台芸能の振興に寄与する個人、団体を表彰する松尾芸能賞第39回受賞者が15日、発表されました。

玉三郎丈が大賞を受賞されました。
 
 
10代後半から美貌の若女方として頭角を現し昭和50年代は、現・十五代目片岡仁左衛門(当時・片岡孝夫)と「孝玉ブーム」を巻き起こした。歌舞伎界の立女形として、新派やシェイクスピア作品で多彩な役を演じ、歌舞伎を世界の演劇に押し上げた。幅広いジャンルの舞台に出演し、現代演劇、レビュー、太鼓などの演出や映画監督も手掛け世界に誇るアーティストとして活躍している。なかでも平成29年は「井伊大老」お静の方、「沓手月孤城落月」淀の方、「瞼の母」のおはま、「楊貴妃」で女方の至芸を見せるとともに、若手の指導やシネマ歌舞伎も手掛け歌舞伎の伝承と普及に大きな功績を上げた。
 
 
 
今日又中日(東京)新聞に上野記事の玉三郎の言葉について住彩子さんが書いてます。
 
「思い出とか、私にとって中日劇場はそういう場所ではありません」
 
文化を支えてこそ、真に地域に根差した新聞になれる。
 
玉三郎の目は「私は観ていますよ」と語っていた。
 
 
この玉三郎の言葉が衝撃的でさすがおもねるとか、サービスめいた言葉はなかったのです。徹底したプロ意識
 
お金以上に文化を守る大切さを知る人の指摘。
 
 
 
昨年の「井伊大老」お静の方、「沓手月孤城落月」淀の方、「瞼の母」のおはま、「楊貴妃」を鑑賞出来たのは幸せです。今月の歌舞伎座仁左衛門玉三郎コンビ観たかったのですが急に旅の予定が入り断念しました。
 
全く新しい演目だったら我慢できなかったでしょう。
 
他に音楽喜劇「のど自慢」では主演を務め、多彩で精力的な芸能活動された森昌子さんが歌謡部門優秀賞
 
舞踊新人賞は嘉数道彦さん
4歳で琉球舞踊の宮城能造に入門し、8歳で「鳩間節」を踊り初舞台。沖縄県立芸術大学で「組踊」を専攻し、大学院修士演奏では自作自演の組踊「宿納森の獅子」を発表。才能の輝きは注目を集め、平成18年国立劇場おきなわ研究公演に採択され新人組踊作家としてデビュー。以後、新作組踊「十六夜朝顔」「初桜」などの優品が沖縄・東京の国立劇場で初演再演を重ねる。また、沖縄芝居「ぺーちんの恋人」などの劇作・演出を含め30作品余の舞台も成功させた。琉球舞踊家、劇作・演出家、また国立劇場おきなわ芸術監督として、沖縄伝統芸に新生面を拓き新風を送り込んでいる。
 
演劇新人賞はワンピースで猿之介の代役務めた尾上右近さん
父は七代目清元延寿太夫、曾祖父は六代目尾上菊五郎。平成12年「舞鶴雪月花」松虫にて岡村研佑の名で初舞台。平成17年に二代目右近を襲名。初舞台で切れの良い踊りが高く評価され菊五郎劇団で更に資質を磨き、娘方や若衆を中心に様々な役を演じ花形スターの一人となった。平成27年より自主公演「研の會」をはじめ大役に挑み成果を上げる。平成29年はスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」では2ケ月間主役を務め、満員の観客から喝采を浴びた。平成30年には父の前名・七代目清元栄寿太夫を襲名し、清元の太夫としても今後の活躍が期待される。
鶴田浩二の孫、清元延寿太夫派怖い舅だったと。そうでしょうね、色々あった俳優ですから。
 
尾上右近さん徹子の部屋では六代目尾上菊五郎野映像観てウルウルされてました。
 
菊五郎の死後映画界へ去った大川橋蔵は六代目尾上菊五郎の芸養子、後ろ盾失ったからでしょう。凄い人気だったそうです。主演映画の新聞一面広告は覚えています。
京都に住んだ時はお宅を外から拝見しました。
これから渋く大成されるはずが50台で永眠されました、
今なら手術で助かったでしょう。残念です。
玉三郎と共演したこともあるそうです。