riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

平甚の蕎麦と桜間見屋の和菓子など

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郡上八幡で必ず立ち寄る蕎麦の平甚さん、川沿いにあります。
子供の時からお馴染、ここのご主人が100歳!
 
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下の吉田川では鮎がいっぱいなので、蕎麦にもつけてくれると嬉しいのですが、鳥や牛肉だけ。
 
子供時代は支流の川で泳いだり鮎のフルコースも頂きました
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有名な宗祇水。
 
 
 
 
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最近できたこのお店には入れず残念。
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懐かしい肉桂玉
ニッキの飴とこんな洒落た和菓子を。
 
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求肥抹茶餅
室町時代の郡上は代々歌道にすぐれた東氏が勢力をもっていました。常縁は九代目として篠脇城主となり、時の将軍義政に仕え、勤番のかたわら歌道の尭孝の弟子となりのちに、飯尾宗祇、近衛関白政家、将軍義尚らの師となり、古今和歌集の要旨を教え勤番と歌道の生活でした。
そのうち、関東の千葉氏(東氏宗家)で内紛が起り、それを鎮圧する為下向しましたが、内紛はやがて掘越公方と古河公方との対立となり争乱は長引きました。常縁はその間、十余年の月日を関東で過すことになり、領地に戻るとすでに領地は斉藤妙椿に奪われていました。常縁が亡父の追善供養の際、その嘆きを和歌に託して詠んだ所、伝えきいた妙椿から和歌を送ってくれれば所領を返す、との申し入れがあり、妙椿と体面して和歌の贈答が行われ、無事所領を取り戻す事が出来たのでした。又師弟宗祇との関係は強く結ばれ、文明三年(1471)の新春には宗祇は美濃へ分けいりました。翌年、郡上山田庄において、常縁は宗祇に世に有名な古今伝授を行っています。後、常縁は明応三年(1494)4月18日、94歳の高齢で世を去り、その墓は乗性寺(美並町)にあります。
弊鋪はこの美しい師弟愛に因み、求肥に抹茶が入った風情ある餅を調製し名を常縁と名付けました。
情緒ある郡上の銘菓として姉妹品『宗祇』『常友』と共に、末永く御賞味下さいます様お願い申し上げます。
初めて求めましたが好みです。
 
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郡上味噌、朴葉味噌も好きなので買います。
 
山の中なのに寿司も美味しかったのを覚えています。
 
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踊りの街なので、お好きな浴衣ありますか。
徹夜踊り、先生も踊ってました。
その頃の私は肥満児で踊りにも参加しなかった…
勿体無かった。