riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

足助城が有るのを知らなかった!

先日郡上八幡まで行ったのに鮎を食べなかったので連れ合いが
スーパーで鮎買い(笑)さらに足助へ。
 
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これは足助なのですがその前に猿投温泉の道路を
横切るキジを目撃
突然で上手く撮影出来ませんでした。
長年猿投温泉に通ってますがキジを観たのは初めて。
 
 
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吊橋、揺れます。 
ここでも鮎釣りしています。
 
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定食の鮎は2尾ですが追加した連れ合い。
定食は1100円、追加の鮎は500円です。
 
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梅干を沢山干していました。
 
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途中でもうひとつ向こうの山真弓山に山城が見えました
足助に城があったとは、うかつにも知りませんでした
 
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アジサイロードのようになっています。
 
車でここまで行けますがこの後も急坂登ります。
車を止めドア開け閉めも苦労するぐらい、きつい坂です。
 
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これにはびっくり
 
 
足助城」「松山城」「足助松山の城」などと呼ばれ、かつては足助氏の築いた足助七屋敷の1つと推測されていたが、後述の発掘調査で足助氏の時代の遺構が検出されなかったことなどから、現在では戦国時代にこの地を治めた足助鈴木家の本城であったと考えられている。築城時期は不明。
大永5年(1525年)に松平清康がこの城を攻めた記録が残り、この際に清康の妹・久[1]を2代鈴木重政の嫡子・重直に嫁すことで一旦は松平氏に下っている。その後は離反帰服を経て、永禄7年(1564年)に松平家康に攻められたのちは完全に服属し、以降は松平氏の家臣団として戦った。
天正18年(1590年)、家康の関東入国に従って鈴木氏も足助を離れ、真弓山城は廃城となった。
 
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昔から塩運んだ飯田街道が見えます。
 
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南物見台
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西物見台(物見矢倉)
 
 
続きます