足助城が有るのを知らなかった!
先日郡上八幡まで行ったのに鮎を食べなかったので連れ合いが
スーパーで鮎買い(笑)さらに足助へ。
これは足助なのですがその前に猿投温泉の道路を
横切るキジを目撃
突然で上手く撮影出来ませんでした。
長年猿投温泉に通ってますがキジを観たのは初めて。
定食の鮎は2尾ですが追加した連れ合い。
定食は1100円、追加の鮎は500円です。
途中でもうひとつ向こうの山真弓山に山城が見えました
足助に城があったとは、うかつにも知りませんでした
アジサイロードのようになっています。
車でここまで行けますがこの後も急坂登ります。
車を止めドア開け閉めも苦労するぐらい、きつい坂です。
これにはびっくり
城跡公園足助城は、足助町制施行100周年を記念して、平成5年に開園しました。足助の古い町並みが一望できる標高301メートルの真弓山に、高櫓・長屋・物見矢倉・厨( くりや)などの建物が復元されています。発掘調査成果に基づく戦国時代の山城の復元 ...←調査成果に基づく戦国時代の山城の復元は、全国で最も早い事例です。
足助城」「松山城」「足助松山の城」などと呼ばれ、かつては足助氏の築いた足助七屋敷の1つと推測されていたが、後述の発掘調査で足助氏の時代の遺構が検出されなかったことなどから、現在では戦国時代にこの地を治めた足助鈴木家の本城であったと考えられている。築城時期は不明。
大永5年(1525年)に松平清康がこの城を攻めた記録が残り、この際に清康の妹・久[1]を2代鈴木重政の嫡子・重直に嫁すことで一旦は松平氏に下っている。その後は離反帰服を経て、永禄7年(1564年)に松平家康に攻められたのちは完全に服属し、以降は松平氏の家臣団として戦った。