「ザ・空気ver.2 誰も書いてはならぬ」報道の自由度ランキングは180カ国地域中72位
報道は公正か、再び問う 永井愛作・演出「ザ・空気ver.2」:朝日新聞デジタル
永井さんインタビュー
発想のきっかけになったのは、高市総務大臣の有名な電波停止発言……。
──昨年2月8日、総務大臣による「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命じる可能性もある」という発言。根拠となるのが、放送法第4条と電波法第76条ということですね。
放送法はそもそも戦後、放送を国家権力の干渉から守り、表現の自由を担保するために生まれました。その第4条は、放送事業者たちの努力目標、倫理規定だと解釈すべきもので、それを根拠に電波を停止するのは、とんでもない発言だと話題になったけど、肝心のテレビニュースはこの発言に対して、あまり批判的に取り上げなかった。むしろ、スルーしたという印象ですね。その理由として、「全く気にしていない」「慎重にやれというリアクションすらない」という放送人もいるけれど、これ以後、情報系の選挙関連番組はものすごく減りましたよね。政府の出した法案に、賛成か反対かを聞く街頭インタビューでも、反対が多いと数合わせのために、賛成意見を求めて走り回るようになったという現場の声がある。「政治的公平性」でクレームをつけられたくないというのが本音でしょう。でも、総務大臣(政府)というひとつの政治的立場によって、「政治的公平性」を判断されることのおかしさについて、報道現場はもっと批判すべきだと思う。個々にはそう発言しているジャーナリストもいるけれど、放送局としてのまとまった意見表明には至っていないというのが現状だと思うんですね。
国境なき記者団が発表した、世界報道の自由度ランキングもショックでしたね。日本は世界180カ国・地域のうち第72位ということで……。
──毎年、急激に順位を落としています。
第二次安倍政権になってからの転落が著しい。それから、「意見及び表現の自由」の調査を担当する国連の特別報告者、デヴィッド・ケイという人が、日本のジャーナリストに話を聞いたところ、その多くが匿名を条件に「有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられた」と訴えた。ケイ氏は「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」と結論づけましたよね。
──デヴィッド・ケイは、一昨年、調査に来日しようとしたんですが、そのときは政府が迎える準備が整ってないという理由で、断ったんですよね。
そうそう。来させなかった。
──で、受け入れる準備期間をおいたにもかかわらず、そのような結果が発表された。
報道現場への圧力について、まったく知らないわけではなかったけれど、「72位」とか、「独立性の重大な脅威に直面」って言われると、ちょっとショックでしたね。そこまでになっているのかと。この種のことを「嫌だけど、ありがちなこと」として、許容していた自分の姿まで見えた。この報道によって、新たな視点がもたらされたからです。
わたしたちは主権者として政府を選ぶ立場ですよね。でも、報道が国民の側に立って必要な事実を伝えないと、正しい選択肢が得られない。国民は主体的に考えるきっかけを失い、バカになっていくかもしれない。
テレビはたしかに低俗なものも多いけど、やはり影響力が強いですね。日本では、テレビに出てる人=有名人じゃないですか。演劇界だって、テレビに出ている人を出さないとお客が来てくれないという現実的な問題があります。テレビに出ていることが、人々に必要とされている証ということになっているから。
──たしかに舞台の場合には、テレビに出てる俳優の出演が、劇場に来るきっかけになることもありますね。
そういう意味で、テレビが流すものは、すごく人に影響する。バラエティひとつとってみても、たとえば、お笑い系の人たちが醸しだす保守性……女は家で料理を作るのが当たり前とか、女子力があるとかないとか、そういう価値観を垂れ流している。
──お笑いの世界は、少しまえの文化のコードのなかで成り立っている。
それに、先輩後輩という関係性が古くさい。でも、ニュースやドキュメンタリーには、いいものがありますね。新聞を読む人が減っている今、テレビのニュースには、これまで以上に重大な役割が出てきたなと。
テレビのニュースは映像つきでわかりやすい分、どういう角度で、何を報道するかによって、世論を支配するくらいの力を持つじゃないですか。だから、そこに特定のバイアスがかかることはよくないんだけど、政府寄りの意見ばかりを流したとしても、総務大臣は「政治的公平性に欠ける」とクレームをつけてきたりしませんよ。「特定秘密保護法はやばいんじゃないか」とか、「安保法案は憲法違反じゃないか」とか、「緊急事態条項ができたら怖ろしい」とか、「テロ等準備罪(共謀罪)は現代の治安維持法だ」などの見解を放送し続けたときには、「政治的公平性に問題がある」と言ってくるでしょうけど。こういう報道ができなくなるのは本当に怖い。
でも、演劇は「こういうことがあるけど、いいのか」と、私個人の意見を訴える場だけにしてしまったらつまらない。こういうシチュエーションのなかで人間が生きるとどうなるのかを見せるのが演劇だと思うから。で、あなたはどう思いますかと問いかける。『ザ・空気』も、もし報道の現場でこういうことが起きているとしたら、あなたはどう思いますかという話なんですよね。
──舞台を拝見して、社会的な問題を取りあげてはいるものの、意見の押しつけにならず、そこを生きる人々を丁寧に描くことで問題提起をなさっている感じはします。
人間が描けてないと、社会的なテーマ性のあるものほどつまらなくなっちゃいますよね。
──今回はいろんな政治的な立場といいますか、問題に対するアプローチはそれぞれちがうんですけれども、同時にちょっと恋愛関係も、まぶしてあるというか……。
微妙なね。元恋人同士であった男女の、言ってみれば、もうひとつ先の……言葉は古いけど「同志的恋愛」というか「友情」というかね、なんか本当の意味での強固な愛情関係みたいなものも描きたいなと。
──それはいいですね。『ザ・空気』に登場する編集長とキャスターのふたりは、そのように展開していくんですね。
まあ、ある種の信頼関係が、恋愛以上に男女を結びつける場合もあるだろうなと思うんですね。