riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

やっと『星夜航行』を読む、小西行長のイメージも変わる

分厚い大作なので買えないで図書館でリクエストし、40人ぐらい待ちました。
下巻のほうが早く来てしまった!やっと上巻読み終わります。
 
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飯嶋氏の本は3作品読みましたがいつも詳細な内容で恵まれない人が有能で真摯に生き延びていく内容で感動します。
 
家康の悲劇の小姓として仕えた甚五郎のことは全然知らなかったのです。
またちょっと漢方薬が出てきたり、意外にも大悪人秀吉が家康の子秀康を養子にもらい風呂に一緒に入り背中まで流して可愛がった話も。
 
家康も制裁や長男を殺し、権力者のどす暗い面を見せますが
秀吉はもっと始末が負えない
 
無謀な朝鮮、明、天竺侵略を企てた秀吉
 
反対する利休などのは切腹に追い込まれ秀吉とめる人もいなくなり。
もしかして認知
 
日本を二本と書いて平然としていた秀吉の様に今のソーリを思い起こします。
飯嶋氏がこの労作を書き始めたころは森本問題もなく…
 
秀吉時代の朝鮮だあけでなく、日本の庶民も挑発され他を耕す人もいなくなり戦場へ送られ塗炭の苦しみ
 
 
まだ家康は幕府を開き朝鮮通信使を復活させて平和外交しますが。
 
 
李 舜臣の活躍などは前に読みましたがこんな詳しい話は…
 
――甚五郎と行長は朝鮮役の最前線に送られ、違った道を歩みます。ふたりの道を分けたのは、何だったのでしょうか。
飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。
 
 
行長や対馬の宗家らは朝鮮出兵を回避しようとしますが、その方策は国書を偽造し、事実を偽り、秀吉と民を欺く。なにやら昨今の官邸や財務省を見るようです。
 
 
――文字通り、国を捨てて戦う日本兵も現れます。
飯嶋 そういう兵がいたことは徳富蘇峰の『近世日本国民史』で知りました。忘れもしない1992年、駒込古書店に五十冊揃いで売りに出ていて、そのうちの「朝鮮役」の三冊だけ欲しくて売ってくれないかとお願いしたら、ダメだと言われ、手持ちがなく、駅前のATMでお金を下ろして購入した。あのとき、『近世日本国民史』に出会わず、五十冊揃いを買ってなかったら、見過ごしていたかもしれません。朝鮮の青史『 懲ヒ録(ちょうひろく) 』にもこの兵の奮闘が記されていました。

――甚五郎と行長は朝鮮役の最前線に送られ、違った道を歩みます。ふたりの道を分けたのは、何だったのでしょうか。
飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。

――『星夜航行』という書名は沢瀬甚五郎の歩みを象徴するように気高く、美しい言葉ですね。
飯嶋 人は思い通りに生きてはいけないものですが、三河を去った後も沢瀬甚五郎は自身の特殊な技量ゆえに悲惨な思いをし、悲劇に見舞われる。星は雨や曇りの日には見えませんが、常に変わらない位置にあり、一定の動きを示すように甚五郎もおそらく、いかなる状況下でも自分の良心に恥じず忠実であろうとし、人格を保ち、自分の行ってきたことに後ろめたさはなかったのではないでしょうか。だからこそ四半世紀を経て、重要な使命を託され、家康の前に堂々と姿を現したのではないか。そのことは駿府を驚嘆させ、その名を史書の片隅に残したのだろうと思いました。『星夜航行』を通して沢瀬甚五郎の航海とこの時代を追体験していただけたら幸いです。
(いいじま・かずいち 作家)
波 2018年7月号より
 
 
徳川家に取り立てられるも、罪なくして徳川家を追われた沢瀬甚五郎は堺、薩摩、博多、呂宋の地を転々とする。海外交易の隆盛、秀吉の天下統一の激動の時代の波に飲まれ、やがて朝鮮出兵の暴挙が甚五郎の身にも襲いかかる。史料の中に埋もれていた実在の人物を掘り起こし、刊行までに九年の歳月を費やした著者最高傑作の誕生。
 

飯嶋和一『星夜航行』刊行記念特集】姜尚中/激動する現代のアジアをも見通す祈り

[レビュアー] 姜尚中東京大学名誉教授)
 叙事詩的な小説でありながら、リリシズム(叙情詩的な趣)の香りのする小説に出逢うことは滅多にあるものではない。歴史小説というジャンルでその滅多にない体験をしたのは、経済小説の草分けと言われた城山三郎の『黄金の日日』くらいだろうか。そして本書を読み進みながら、頭を掠めたのは、『黄金の日日』のことだった。
 実際、本書にも、安土桃山時代にルソンに渡り、海外貿易を通じて巨万の富を築いた、和泉国堺の伝説的な豪商呂宋(るそん)助左衛門(菜屋助左衛門)が登場する。
黄金の日日』は、日本史上で人気が高く、今でもヒーローとしてもてはやされている太閤(豊臣)秀吉を悪役として描き、後の身分制では最も卑しいクラスに位置付けられる商人を主人公に激動の近世日本の断面を描き出した点で出色の歴史小説である。
 それが、叙事詩的な体裁を取りながらも、随所にリリカルな香りを発散させているのは、主人公やその周辺の人々の情念や息遣いが見事に造形化されているからである。
『星夜航行』もまた、『黄金の日日』と同じように、叙事詩的でありながら、リリシズムの香りのする稀有な小説である。なぜそうなのか。
 それは、何よりも主人公、沢瀬甚五郎によるところが大きい。史料に名を残す実在の人物でありながら、言うまでもなく、信長や秀吉、家康に較べたら、星屑のような輝きしか残さなかった人物かもしれない。
 しかし、徳川家の「逆臣の遺児」として不遇の星のもとに生まれながら、戦国から天下統一、そして南蛮交易、「朝鮮出兵」(文禄・慶長の役)と続く波乱の時代を、三河から堺、九州、ルソン、朝鮮と、数奇な運命とともに生き抜いた主人公には、信長や秀吉、家康にはないものがある。それは、『黄金の日日』の主人公にも通じるリリシズムである。
 戦国・安土桃山時代、さらに幕末と、叙事詩的な英雄譚や偉人伝には事欠かない。しかし、それらの多くが、どこかで人間の陰影、その喜びや悲しみの深さを描けていないように思えてならないのは、主人公にリリカルなものが欠けているからではないだろうか。
黄金の日日』の呂宋助左衛門と『星夜航行』の沢瀬甚五郎に共通するのは、彼らがスターダストの中の一つに過ぎないことを心得ていることである。
 ただし、違いもある。助左衛門は、根っからの商人であるが、甚五郎は、喩えて言えば、藤沢周平の作品に出でくるような「武士(もののふ)」である。
 その武士が、出奔し、流転の果てに秀吉の「朝鮮出兵」に巻き込まれ、戦(いくさ)の惨さを知っていく場面は圧巻である。主人公と同じくかつて徳川家に仕え、恩人である磯貝小左衛門の述懐は、胸を打つ。
「この戦乱で最も苦しんでいるのは、衆生、下々の民である。この朝鮮でも、日本でも、恐らく明国でも、最も厄災をこうむるのは、いずこによらず民草なのだ」
 この世が地獄であっても、いつかは観世音菩薩があらゆる国土にその姿を現すことになる。この願いこそ、主人公が流転の果てに得たものである。
 それは、激動する現代の東アジアをも見通す祈りでもある。主人公の甚五郎が、征夷大将軍になっていた家康に謁見するシーンは、その祈りがただの夢ではないことを暗示しているようで、深く心を揺さぶる。
『星夜航行』は、『黄金の日日』を受け継ぎながら、さらにそれを超える不朽の名作として読み継がれていくに違いない。
新潮社 波
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです