三越の石原裕次郎の軌跡展
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爽やかな笑顔と憎めない愛嬌、どこか漂う品の良さを持ち合わせた大スター・石原裕次郎。1956年<太陽の季節>でデビューして以来、俳優、歌手、そしてプロデューサーと多方面で活躍し、昭和という時代を駆け抜けました。
本展は裕次郎記念館に所蔵されていた作品を中心に、全国を縦断する初の展覧会。映画で使用されたドラムや小道具、テレビドラマで着用された衣装、100着を超えるこだわりのスーツや靴などを一堂に展観します。 名古屋観光情報からの引用です。
もう月曜なのですいていました。歌は雰囲気がありうまいなと思います。
あの頃の俳優はよく歌っていました。
東京都民は裕次郎の兄だからとアレを知事に選んだのでしょうか。
今の都知事は緑タヌキから又青の何とかに変貌したとか。
子供たちが大好きだったドラマ。
知らなかった次の映画のポスターを観ました。
「ある兵士の賭け」
国境をのりこえた人間愛と戦争の罪悪をみつめたドラマ。「東京←→パリ 青春の条件」
のジェームス三木が原案。
昭和三十五年某日、「星条旗紙」に奇妙な広告が掲載された。〈米軍将兵に告ぐ。米兵士アレン大尉はキャンプ地座間から別府までの千三百余キロを二週間で歩いてみせる。いくらでもよいからこれに賭けて欲しい。もし成功すれば賭け金は別府の孤児院白菊寮へ寄付する〉フリーの報道カメラマン北林宏はその広告を見て、激しい怒りを覚えた。昭和二十七年、朝鮮戦争の取材に現地に飛んだ北林はその最前戦で北戦ゲリラと誤って子供づれの市民夫妻を射殺したアレン大尉を目撃してたのだ。一瞬のうちに父母を失った幼児の悲鳴にも似た泣声は、八年を経た現在も北林の耳の底に残っていた。北林はアレンに、無慈悲に孤児を作った人間が、孤児のためと称して慈善事業をやるのは大変な矛盾だと、歩くことを中止するよう迫ったが、
「太平洋独りぼっち」は好きでした。
子供の時から一人旅にあこがれていたのでしょうか。
スーツがずらり、
裕次郎のバラの絵や書など、ファンにはたまらないでしょうね。
30数万円の現代的なオルゴールも販売、音が良いこれなら手入れ不要?
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