地の果てまで
こんな映画があったとは。
ドフトエフスキーーの「罪と罰」を戦後の日本に置き換えて映画化。
学生時代にはよくロシア文学も読みました。
CSで録画、やっと観ました。新藤監督のホンも興味ありましたが
主演の二人がすがすがしいからでしょうか。
今も貧困が課題ですが帝政期のロシア、敗戦後の日本、
どんなにか生きずらかったことでしょう。
良家の娘もパンパンなった話は聞きます。
大きな荷物を運ばされる馬が虐待されるシーンから始まります。
政府が米軍のために慰安所作った国です
日本兵が看護師もレイプし殺害した実話
映画監督になるのが希望だった池部良は178センチ、当時としては長身、知的なハンサムで
子供心にも憧れました。
大学では富田彬などから学ぶとともに[3]、映画監督になるのを夢見て在学中の1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入り、1941年に卒業と同時にシナリオ研究所を卒業し東宝に入社する。監督希望だったが[4]戦時下の作品制作数の大幅減少で助監督の空きがなく、文芸部に配属。早々部長に、面食いだからと当時子役の大スターだった中村メイコの子守を命じられ、彼女の大絶賛を聞いた映画監督・島津保次郎に請われて『闘魚』に脇役で出演する[5]。それが好評となり知的でスマートな若手俳優のホープとして目された。
清純な雰囲気の久我美子がこういう役とはと驚きましたが最後は…
彼女の顔、声もよく覚えています。
久我家(こがけ)は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む華族の家柄で、東京市牛込に生まれる。1946年、 学習院女子中等科在学中、第一期東宝ニューフェイスに合格。同期に三船敏郎・堀雄二・伊豆肇・若山セツ子・堺左千夫らがいる。1947年、学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
三ツ矢歌子(義姉)
↓はネタバレがありますからご注意。