「この世界の片隅に」映画では描かれなかったこと。週刊金曜日
話題の映画が8月3日にNHKでノーカット放映されました。
この週刊金曜日を読み、まったく私の見方が浅かったことが判明。
原作も読んでいないから。
遊郭で働く女性や軍港呉、広島を描いてることはわかりましたが、
原作では敗戦後、太極旗が翻ったこと
日本に虐げられていた朝鮮の方には解放でした。
日本人は日本人だけが被爆したり、空襲、原爆でやられたことしか、考えないことが多いのが恥ずかしい。
軍都広島の外部に海苔の産地がありました。江波(えば)
その漁村を三菱重工業が破壊し工場が建てられたのです
特攻兵器の人間魚雷も製造されました。
一方、漁民の中にはには満州へ移民した人もいます。
多くの男女学生も学徒動員で勤務。
2000人の朝鮮人徴用工が動員されました
その背景には日本人男子労働力の圧倒的不足がありました。
原爆の図にはそれが描かれています。
原爆の図 第14部 《からす》『原爆がおちゃけたあと、
一番あとまで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。 日本人はたくさん生き残ったが 朝鮮人はちっとしか生きの残らんぢゃったけん。 どがんもこがんもできん。 からすは空から飛んでくるけん、うんときたばい。 朝鮮人たちの死骸の頭の目ん玉ば、からすがきて食うとよ。 からすがめん玉食らいよる』 (石牟礼道子さんの文章より) 今、韓国だけでも一万五千人近くの被爆者が
原爆手帖さえなく暮らしているのです。 (原爆の図 第14部 《からす》 1972年 屏風四曲一双 縦1.8m×横7.2m)
物語の舞台が軍港だった呉であり、そこでは大勢の朝鮮人たちが働かされていた史実を踏まえれば、作中の太極旗に込められているのは、この町で日本人と同じく在日コリアンたちが戦火に巻き込まれながら暮らしていたという事実であり、戦争によって大切なものを奪われた存在=戦争被害者としての主人公が、そのじつ大切なものを奪う側の存在でもあったことを知る場面だったのではないか。http://amamako.hateblo.jp/entry/2016/11/26/211545
そして屋外へ飛び出した主人公は、遠くの屋根に太極旗がひるがえっている光景を見て、ようやく片隅で生きていた自らも他者を抑圧していたことを知る。「暴力で従えとったいうことか」「じゃけえ暴力に屈するという事かね それがこの国の正体かね」」と吐露する主人公の台詞を、「意外だったのは、実は、日本に暮らしながらこの国を好きでない人がいる、という事」という作者の言葉に重ねることは難しくない。作者自身も、玉音放送の描写を「山場」ととらえていたという。
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