玉三郎御園座特別公演「秋の色種(いろくさ)」「傾城雪吉原(けいせいゆきのよしわら)」
昨年歌舞伎座で鑑賞した「秋の色種」と「傾城雪の吉原」なので迷いましたが、新御園座で初の玉三郎なので。
2階席から。
3日のみの公演でチケが入手できなかった方も多く、気にしていられました。
口上は50年前の御園座や中日劇場に出演されたお話から結構たっぷり
これだけでも来てよかった!
98年仁左衛門丈の襲名披露公演、見なかった私。
襲名披露でチケ高くあきらめたのでしょう、なんという事か。
『秋の色種』は、秋の草花や虫の音を歌詞や三味線の演奏にとり入れた季節感あふれる長唄で、秋の情景を艶やかに踊る。
曲がいいのになかなか上演されない舞踊だそうです。
二回目の鑑賞でようやく虫の音の表現を堪能、確かに美しい音色。
8月の新作「雪之丞」中日新聞と渡辺保の劇評と賛否両論あり、それは又。
http://watanabetamotu.la.coocan.jp/REVIEW/BACK%20NO/2019.8-1.htm
昨年はこの舞踊で若手梅枝、児太郎と踊り、玉三郎が衣装替えの間に二人が琴の演奏で楽しませてくれました。
https://ameblo.jp/m2532mmm/entry-12395918726.html
阿古屋でもわかるように玉三郎丈は若手の指導も目覚ましい。
隣席の母娘さんは初めての玉三郎公演で美しいと感激されていらっしゃいました。
9月下旬には玉三郎のシネマ歌舞伎もありますからお勧めしました。
傾城雪吉原は衛星劇場で今月テレビ発放送
3日(火)後5:30、12日(木)後5:30、23日(月)後5:30
片時も目が離せないような哀しいような美しさ、傾城ですから。
口上から始まり、雪吉原傾城で終わり、浄化されました。
以下は引用
玉三郎が「夢幻能」を現出させた「傾城雪吉原(けいせいゆきのよしわら)」(Bプロ)@歌舞伎座 12月23日夜の部
http://www.yoshiepen.net/entry/2018/12/26/215432
「傾城と雪」の取り合わせの歌舞伎舞踊は、平成21年12月の「歌舞伎座さよなら公演」で、先代芝翫が「雪傾城」(『月雪花名歌姿絵』の一部)として披露している。この時は、児太郎、そして現芝翫の子息たちも共に踊ったとか。元をたどれば、成駒屋の持ち舞踊だという。残念ながら見逃しているが、先代芝翫の喜ぶさまが、目の前に見えるような気がする。
今回の玉三郎の新作舞踊は、それを踏まえつつ、新しい趣向を凝らした舞踊である。成駒屋版とは一線を画するという、玉三郎の強い意思を感じる。孫たちと踊った先代芝翫とは違い、玉三郎はあくまでも孤高の傾城を踊る。華やかさの中に、切々とこちらに迫る悲しみがある。それは、雪のために訪れることがない恋人を惜しむというのと同時に、「待つ」女性の癒されることのない孤独感を描いてもいる。それは、美しい自然(景色)が必然的にかき立ててくる空虚感と、どこか重なり合っている。この空虚感を出している点で、玉三郎版「雪+傾城」は、成駒屋版とは決定的に異なっている。玉三郎は自身の孤高のサマを、後につづく女方たちに示そうとしたのかもしれない。舞踊というものは、つまるところ「孤独を踊る」ものだと。
しかも、この舞踊、序破急に則っていて、明らかに能の三番目物を意識した作りになっていた。私が今までに見た
(DVD版を含む)能の番組でいえば、『井筒』、『熊野』、そして『松風』に近かった。三番目物は舞の要素が濃い物で、シテは美女の霊のことが多い。『井筒』、『松風』のシテは、まさに帰らぬ人を「待つ女」である。玉三郎が、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」を、いかに能を採り入れて、新しい舞踊に変身させたかを、ドキュメンタリー形式で追った番組を思い出した。