riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">ディアピョンヤン</span>


http://movie.blogmura.com/moviereview/"

見逃がしていた
ベルリン国際映画祭/最優秀アジア映画賞(NETPAC)受賞
サンダンス映画祭/審査員特別賞 受賞
山形国際ドキュメンタリー映画祭/特別賞 受賞
など世界中の映画祭で多数受賞してる本作を観ることができた。

憎らしく 愛おしい父とその娘 家族の記録

この写真は娘である監督からお母さんとの馴れ初めなど聞かれてお父さんが照れているところです。ついには布団かぶってしまいました。失礼ながら可愛いでしょう。
後ろにいる女性はお母さん、北朝鮮に行く荷物を作っています。

海女のリャンさん
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/28173861.html
と重なるところがある在日の苦しみと喜び

北朝鮮を訪問するときのプレゼントの段ボールの山!

孫たちへの鉛筆やノート、日用品の数々。



日本が植民地支配した朝鮮半島
憎らしく 愛おしい父とその娘 家族の記録。
娘は大阪で生まれ育ったコリアン2世、3人の兄たちは 北朝鮮に“帰国”。北へ渡った「在日」たちは、日本へ帰る
ことは今も許されない。父は 死の病床で言った        『やっぱり家族は離れたらアカンのや』

美人の奥さんが大好きなお父さん、頑固だけど愛嬌がある。
娘でこの映画の監督・ナレーションをしたヤン・ヨンヒさん。

監督インタビューの一部です。
http://www.manabinoba.com/index.cfm/4,7796,81,html
我が家は、2階が両親の部屋で将軍様の写真やら著書やらがたくさん飾ってあり、3階が私の部屋なんです。すると、置いてある本も写真もまったく違うので、友人は2階と3階とをつなぐ階段を「ベルリンの壁」と呼び、「おまえの家には西と東がある」と言っていました(笑)。
兄たちはお父さんの勧めで北朝鮮へ“帰国”

3男はわずか14才、見送る母はいつまでも岩壁に。

そこまでしなければならない立場だ行ったのか。

娘だけは批判的になる。今学習院大学の講師されているそうだ。

北朝鮮の兄たちを訪問する様子。痩せて悲しそうな兄たち。

ヤン・ヨンヒさんは国籍を変えないと自由に旅行も出来ないので反対していた父も晩年にそれを許すことになる。

上映の後の意見交換で、

日本人は朝鮮半島を植民地にして血の川、海を作ってしまった。その後も就職差別で北朝鮮へ“帰国”せざるを得なかった人たち。

戦後、分断もされずのうのうと、暮らしてる日本人。

今でもアソウ君は「創氏改名も朝鮮の人が望んだから」とうそぶく。誰が名前奪われることを望むだろうか。



以下は引用です。

日本で生まれ育ったコリアン2世のヤンは朝鮮総聯の幹部として自分の一生をすべて“祖国”に捧げつづける両親のもとで育った。3人の兄たちは、30数年前に北朝鮮へ“帰国”した。なぜ、そこまでして祖国に自分たちのすべてを捧げ続けるのか?深まる葛藤と、長い対話。変貌する時代の中で次第に親子は違う生き方を選ぶお互いを受け入れ新しい関係を模索していく。しかし、そんな父には死の危機が迫っていた…。


内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
在日コリアン二世の映像作家、ヤン・ヨンヒが、自身の家族を10年間に渡り追い続けたドキュメンタリー。朝鮮に帰国した3人の兄たちと、朝鮮総連の活動に人生を捧げた両親を克明に記録。父親と娘との離別と再会、そして和解を描く感動作。