<span itemprop="headline">鶴彬ーこころの軌跡ー上映案内</span>
右側の写真よく見てください。
先日、文芸批評に戦場でたこ壺に入ってるときは水につかり拷問のようだとありましたが、この鶴彬は水風呂の拷問受けていました。
冷え症の私は考えただけでもつらく悲しい。
他にも心に残るシーンがありましたが観てから時間たってしまい思い出しては追記しています。
当地方の上映は終わりましたが各地の上映会があります。
一番下にあります。
冷え症の私は考えただけでもつらく悲しい。
他にも心に残るシーンがありましたが観てから時間たってしまい思い出しては追記しています。
当地方の上映は終わりましたが各地の上映会があります。
一番下にあります。
非常に感銘受けた映画「鶴彬(つるあきら)」
鶴彬生誕100周記念作品ドキュメンタリードラマです。
睡眠不足もあり、ドキュメンタリー映画では寝てしまうことがある情けない私は超低予算なのにこの緊張感のあるドラマにして下さった監督(郡上一揆・草の乱の神山征二郎)始め、スタッフ、ボランティアの方々、澤地久枝さん、一叩人さん達研究された方すべてに感謝します。
監督の師新藤兼人の2003年『ふくろう』大竹しのぶ 主演- モスクワ映画祭功労賞
と同じく舞台をみるようで今も問題となっている国による棄民政策を鋭くついています。
監督の師新藤兼人の2003年『ふくろう』大竹しのぶ 主演- モスクワ映画祭功労賞
と同じく舞台をみるようで今も問題となっている国による棄民政策を鋭くついています。
パンフレットは脚本や鶴彬演じた池上リョヲマ(映画の中の清々しさと御本人の素顔の屈託のなさにさすが役者と感服)
樫山文枝(女流川柳作家の先駆者井上信子役)のインタビュー、澤地さん、深井一郎、勿論川柳も載っていて充実しています。
樫山文枝(女流川柳作家の先駆者井上信子役)のインタビュー、澤地さん、深井一郎、勿論川柳も載っていて充実しています。
鶴彬の理解者井上信子の存在を知ることもできたのがうれしい。
彼は一才の時、子供のいない叔父の養子となる。
八才の時、実父がなくなり母は再婚のためと東京へと去る。
八才の時、実父がなくなり母は再婚のためと東京へと去る。
「可憐なる母は私を産みました」
鶴彬は優秀だったのに師範学校に進学する希望はかなえられず、養父が経営する織物工場で働きました。学歴のないことが彼を苦しめることになります。
「暴風と海の恋を見ましたか」
こんな可愛い句を読んでいたのに
こんな可愛い句を読んでいたのに
手と足をもいだ丸太にしてかえし
万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た
みな肺で死ぬる女工の募集札
優しい人は本当は強い。女工さんに対してもこんな句を読んでいる。
そのころのほとんどの日本人は弱者、貧乏人、アジアの人々に優越感、差別観を持ち、台湾・朝鮮を植民地にし、さらに無謀にも中国、東南アジアに侵略。
それに対し、鶴は…
それに対し、鶴は…
半島の生まれと題された連作より
「ヨボと辱められて怒りこみ上げる朝鮮語となる」
「母国掠め盗った国の歴史を復讐する大声」
傲慢で差別する政治家、軍人は嫌です。
以下引用です。
1937(昭和12)年12月3日朝、出勤を待ち伏せていた特高警察によって、治安維持法違反で検挙され、中野区野方署に留置された。権力の恣意によって延々と留置された。野蛮なとりあつかいと粗末な食事は体力を消耗させた。翌年8月後半、赤痢にかかった。警察は治療をせず、肉親を呼びつけ、自費治療を命じなからも釈放はしないという不当な仕打ちをした。豊多摩病院に移されたが、重篤となり、9月14日死亡した。お通夜に野方署の人間がきて型どおりのくやみをのべたのに対して、母は「殺しておいて今さら何を言うか」と詰め寄った。まさに、警察権力によって殺されたのだ。
赤痢菌は食物や水により伝染する病気だ。鶴は差し入れもとだえ、警察の食事ではやせ衰える一方だった。だから差し入れの食事に赤痢菌が入っていたとは考えにくい。とすれば、警察の食事か水が原因となる。だが、他の留置者も含めて集団感染したということではない。だとすると疑念は深まる。鶴彬は、頑として屈しない男だった。激しく抵抗する人だった。特高は鶴を人一倍憎んだだろう。私は以前から、鶴彬は特高によって、赤痢菌を盛られたのではないかと思っていた。日中戦争が激しくなった1938年9月14日に死亡。
1937(昭和12)年12月3日朝、出勤を待ち伏せていた特高警察によって、治安維持法違反で検挙され、中野区野方署に留置された。権力の恣意によって延々と留置された。野蛮なとりあつかいと粗末な食事は体力を消耗させた。翌年8月後半、赤痢にかかった。警察は治療をせず、肉親を呼びつけ、自費治療を命じなからも釈放はしないという不当な仕打ちをした。豊多摩病院に移されたが、重篤となり、9月14日死亡した。お通夜に野方署の人間がきて型どおりのくやみをのべたのに対して、母は「殺しておいて今さら何を言うか」と詰め寄った。まさに、警察権力によって殺されたのだ。
赤痢菌は食物や水により伝染する病気だ。鶴は差し入れもとだえ、警察の食事ではやせ衰える一方だった。だから差し入れの食事に赤痢菌が入っていたとは考えにくい。とすれば、警察の食事か水が原因となる。だが、他の留置者も含めて集団感染したということではない。だとすると疑念は深まる。鶴彬は、頑として屈しない男だった。激しく抵抗する人だった。特高は鶴を人一倍憎んだだろう。私は以前から、鶴彬は特高によって、赤痢菌を盛られたのではないかと思っていた。日中戦争が激しくなった1938年9月14日に死亡。
チェック:日本が軍国主義へと突入していった昭和初期に、反戦・反権力を貫いた川柳作家として知られる鶴彬の足跡を追ったドキュメンタリー・ドラマ。戦争の悲惨さを読んだ作品が反戦的として逮捕され、29歳で獄死した彼の生きざまを『ラストゲーム最後の早慶戦』の神山征二郎監督が描き出す。信念を貫き平和のために生き抜いた鶴彬を、映画やドラマ、舞台などで活躍中の新鋭・池上リョヲマが熱演。共演には樫山文枝、高橋長英らベテランが名を連ねる。
ストーリー:1909年、石川県に生まれた鶴彬、本名喜多一二は15歳頃から川柳を作り始める。21歳で金沢歩兵第7連隊に入営した彼は4年間の軍隊生活を送る中、反戦活動をした罪で2年間服役、1937年に治安維持法違反で逮捕され翌年 29歳で獄死。時代が戦争へと突き進んでいく中、弱き者を見捨てるなと叫び続け、反戦を貫き通した鶴彬の生きざまに迫る。
■ 2009年9月13日(日)
場所:石川県・高松産業文化センター かほく市高松ク41番地
上映:午後4時
「第11回 鶴彬をたたえる集い&「鶴彬」没後71年・生誕100年記念行事」内の上映会
問合せ先:076-281-1201(小山)
場所:石川県・高松産業文化センター かほく市高松ク41番地
上映:午後4時
「第11回 鶴彬をたたえる集い&「鶴彬」没後71年・生誕100年記念行事」内の上映会
問合せ先:076-281-1201(小山)
■ 2009年10月2日(金)
場所:神奈川県・鎌倉市・建長寺講堂 神奈川県鎌倉市山ノ内8
上映:午前9時
川柳シンポジュームの一環として(要事前予約)
http://www.doctor-senryu.com/turu_akira/turu_index.html
場所:神奈川県・鎌倉市・建長寺講堂 神奈川県鎌倉市山ノ内8
上映:午前9時
川柳シンポジュームの一環として(要事前予約)
http://www.doctor-senryu.com/turu_akira/turu_index.html