riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">熊川哲也のロミオとジュリエット</span>


先日、熊川哲也ロミオとジュリエット観ました。
怪我から見事に復活、本当に頑張り屋さんです。
だいたい自分のカンパニーを作るのは大変なことでしょう。
今では子供や大人教室も作りそこから得るものもあると話していられました。
Kカンパニーの舞台は衣装、装置も行き届いて美しい。
勿論ジャンプも凄いのですが演劇的に迫ってきます。
観客の「ミュージカルや映画と違って台詞がないから分かりにくい」という声も聞こえてきましたが、ダンサーの伝える力はそれだけ強くないと響きません。技術だけではないですね。

フィギュアスケートの高橋選手 も怪我の辛いリハビリ乗り越え優勝。よかったですね。彼のステップの素敵なこと!
日本でこんな素晴らしい選手が出てくるとはうれしいことです。

熊川さんが夢二に扮した映画やジゼルなど観ました。
ウィキペディアWikipedia)よりの引用です。
10歳でバレエを始め、高校1年で英国ロイヤルバレエ学校留学。1989年、第17回ローザンヌ国際バレエコンクールで日本人初の金賞を受賞し、その演技は絶賛された。同コンクールでは、決選以外は拍手を禁止されているが、予選の段階から観客の拍手が鳴り止まなかった。また、当時のテレビ解説者であったオペラ座バレエ学校校長、クロード・ベッシーは熊川のドン・キホーテのバジルを評して「少し芝居がかっていますが、素晴らしいですね。彼は既にプロとしてやっていけます。」

同年英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団し、バレエ団最年少でソリストに昇進。

1993年プリンシパルに昇格。滞空時間の長い跳躍と切れ味鋭い回転が持ち味で、現在でも『ドン・キホーテ』のバジルを始め、数々の名演を残す。

1999年の退団・独立後は、自らKバレエカンパニーを創立。以来国内外で活動を続ける傍ら同カンパニーの芸術監督としてプロデュース・演出・振付なども手がける。マヤ・プリセツカヤシルヴィ・ギエム、ダーシー・バッセル、ヴィヴィアナ・デュランテ、吉田都など、内外の有名ソリストとの共演も多い。

1998年には、俳優として映画『F (エフ)』に主演、第22回日本アカデミー賞を受賞。

2007年5月15日に札幌市で行われた『海賊』の公演中、ジャンプの着地の際に右ひざをひねり公演途中で舞台を降板した。翌日、都内病院で右膝前十字靭帯損傷と診断され、約20年間のバレエキャリアで初めて代役を立てる事態となった。

Kバレエ10周年「ロミオ」を改訂 熊川哲也 バレエの王道で勝負続ける
「僕にとって、マクミラン版『ロミオ-』が完璧(かんぺき)な、故郷のような作品だけに、手を出しにくい部分があった」

 10年間在籍した英ロイヤル・バレエ団では、ロミオの親友マキューシオ役が当たり役だった。愛と死の悲劇を際だたせたドラマチックなマクミラン版を初演したのが出身バレエ団だけに、その偉大さを誰よりも知る。「新たな作品を創るのは非常に難しかった」と正直に打ち明け、上演決心まで3年かかったという。

 その上で創りたかったのは、「自分が納得できるもの」。指針となったのは、身体に染みこんだプロコフィエフの音楽だ。「トーン一つ一つにキャラクターの感情が反映されている」というメロディーは、パントマイムと踊りを分けた伝統的バレエ音楽と異なり、心の動きが音符に溶け込んだ情感あふれるもの。

熊川哲也tetsuya kumakawa



古川美術館人の姿かたちフジタの絵を目当てに行ったら見つけたのが右の絵、ミュージカル「キャッツ」「オペラ座の怪人」などの舞台美術を描き、米国現代美術の旗手として世界的な名声を築いたロバート・ハインデル作。よくとらえてますね。