<span itemprop="headline">封印された原爆報告書 見ました</span>
封印された原爆報告書 見ました
今回初めて入手できた。
生々しい被害の実態。
どこでどう亡くなったか、教室に丸印。
200人を超す解剖記録もあった。
生々しい被害の実態。
どこでどう亡くなったか、教室に丸印。
200人を超す解剖記録もあった。
日本人の手で作られ、アメリカにわたされたが、これは日本のカードとなった。
白血球1300。通常の4分の1。
彼は一命を取り留め、回復の過程が調査の対象に。
髪の毛が少しずづはえはじめた。
彼は一命を取り留め、回復の過程が調査の対象に。
髪の毛が少しずづはえはじめた。
すべてを英語に翻訳し、アメリカにわたしていた。
日本側から提出したいという申し出があった。
オータソンは喜んでいた。
オータソンは喜んでいた。
なぜ小出はアメリカにわたしたのか。
内情を知る人、軍医少佐 三木輝雄94才。
父が医務局長だった。大本営に所属していた。
いずれ要求があるだろう。早く持っていった方が心証が良いだろうと、要求がないうちに持っていった。
731のこともあるでしょうね。
attached(11)
内情を知る人、軍医少佐 三木輝雄94才。
父が医務局長だった。大本営に所属していた。
いずれ要求があるだろう。早く持っていった方が心証が良いだろうと、要求がないうちに持っていった。
731のこともあるでしょうね。
attached(11)
ポツダム会談
(バーンズ国務長官の顔が写っていたので、ここに紹介する。彼が市民への無警告原爆投下を誘導した人だ)。
屋外作業の175人が被爆。108人死亡。67人重傷。佐々木さんを含む。
ウォーターソン大佐が強い関心。
すべてワシントンの 研究所へ。
原爆の医学的効果という6冊の論文
機密解除が遅れた。
機密解除が遅れた。
極めて重要な軍事情報でした。日本人の協力の賜物です。
佐々木 ばかにしとるねえ言いたいです。手を合わせるだけです。何も出来ません。
参加した医師。山村秀夫 90才 東京帝大の調査団の一員だった。2年目の医師だった。
すべてアメリカのためという意識だった。
日本で公表することもだめだし、もちよって相談することもできませんから。
全部むこうに出す。
日本で公表することもだめだし、もちよって相談することもできませんから。
全部むこうに出す。
亡くなった被爆者は、解剖された。
200人を超す解剖結果は、14冊の報告書に。
1冊に子どもの解剖記録。報告書番号87。
長崎の小野田まさえ 11才。
まさえおばさんが4歳の時の写真。
無くなる何時間か前に、「兄ちゃん、家に連れてって」。救護所の医師が声をかけてきた。
将来のために、妹さんを解剖に預けていただけないかと父に。
被爆者のために役立ててほしいと託した。
しかし、その後知らされることはなかった。
標本はアメリカに渡っていた。
昭和48年、日本に返還され、広島と長崎の大学に保管されている。
attached(21)
小野田さんの標本は長崎大学医学部にあった。5枚のプレパラート標本。肝臓、腎臓など。
attached(22)
1冊に子どもの解剖記録。報告書番号87。
長崎の小野田まさえ 11才。
まさえおばさんが4歳の時の写真。
無くなる何時間か前に、「兄ちゃん、家に連れてって」。救護所の医師が声をかけてきた。
将来のために、妹さんを解剖に預けていただけないかと父に。
被爆者のために役立ててほしいと託した。
しかし、その後知らされることはなかった。
標本はアメリカに渡っていた。
昭和48年、日本に返還され、広島と長崎の大学に保管されている。
attached(21)
小野田さんの標本は長崎大学医学部にあった。5枚のプレパラート標本。肝臓、腎臓など。
attached(22)
医師の斎藤紀(おさむ)さん。
報告書から新たな発見を探した。ある医学生の手記を発見。
報告書番号51
モンデンヨシトキ氏 ある被爆の実態が彼の手記に書かれていた。
門田可宗(よしとき)
attached(23)
山口医専の学生。19才
報告書から新たな発見を探した。ある医学生の手記を発見。
報告書番号51
モンデンヨシトキ氏 ある被爆の実態が彼の手記に書かれていた。
門田可宗(よしとき)
attached(23)
山口医専の学生。19才
8月15日、39度5分
歯茎とのどの痛み。
19日、体中に出血斑。
歯茎とのどの痛み。
19日、体中に出血斑。
私も原爆の被害者なのか。不安のあまり、その日は眠れなかった。
斎藤医師は、門田の報告書がありながら、国が入市被爆を否定したことに憤り。
日本語で書いた。
訳されたことは知らなかった。
訳されたことは知らなかった。
以上、隠されていたものがやっと表に出てきた。これらを発掘した取材班に敬意を払いたい。見るのはつらかったが、ここに報告することを目的としたので何とか作業を続けることが出来た。
転載元: 飛耳長目 国際紛争の心理