riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">百合子・ダスヴィダーニャ</span>

 
あいち女性映画祭で観逃がしたので映画館公開初日に観ました。
 
監督の舞台挨拶があり、話しかけてしまいました。
 
映像の美しさ!学生時代に旅した猪苗代湖あたりはどうなったでしょうか。
 
宮本百合子があんなにお嬢様だったとは、ロケ地の立派な建築にも感嘆しました。
 
映画の詳しいことは次回に。
 

 
右側の黒い服の方が監督、映画パンフにサイン中。
1948年昭和23年)、徳島県生まれ。10歳で静岡市に移り、静岡大付属中、 静岡城北高卒。これまで延べ300本以上のピンク映画を撮り続けているベテランであり、女性監督としては日本一のピンク映画製作本数となっている。「女性の側から性を主体的に観る」を作品の一貫したテーマとしており、近年は「的場 ちせ」名義での活動もある。
しかし、1997年平成9年)の東京国際女性映画祭にて「日本の長編劇映画の女性監督で、最多本数は田中絹代の6本である」との発言があり、これに発奮して非ピンク映画である『第七官界彷徨尾崎翠を探して』を自主製作にて監督し発表した。以降、ピンク映画と並行して一般映画も製作している。

略歴 [編集]

  • 1948年 徳島県に生まれる。
  • 1968年 東京写真専門学院放送学科在学中に、若松プロダクションに入社。最初の仕事として、『性遊戯』の制作進行を担当するが、すぐに退職。フリーの助監督として働く。
  • 1972年 『十七才好き好き族』(ミリオンフイルム)で監督デビュー。
  • 1984年 個人事務所として「株式会社旦々舎」を設立。監督・プロデュースの両方を兼ねる。
  • 1998年 『第七官界彷徨尾崎翠を探して』(旦々舎)で一般映画の監督としてデビュー。国内外で高い評価を受ける。
    • 2000年 日本インディペンデント映画祭で林あまり賞受賞[1]
  • 2000年 第4回女性文化賞受賞[1]
  • 2001年 一般作品第2弾『百合祭』を発表。文化庁新進芸術家在外研修員としてフランスに留学。
  • 2006年 一般作品第3弾『こほろぎ嬢』を発表。
  • 2011年 一般作品第4弾『百合子、ダスヴィダーニヤ』を発表。