riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">印象派の人びと ジュリーマネの日記</span>





ベルト・モリゾの絵と人生を解説した本を偶然図書館でみつけてこの印象派の人びと ジュリーマネの日記を知りました。

1990年に出たこの本、ジュリー、ルノワールモネの写真やジュリーの絵も載っていて4800円の立派な本です。絶版というのでまた図書館から取り寄せました。

中古で1万円前後します。京都の古本屋さんで4800円だった方も。

左がベルトの娘ジュリーです。なんという魅惑的な目でしょうか。

既に父を亡くしているので憂いが見えます。

モリゾもルノワールから横をむいていて、彼女の自画像とは大違いです。

父や夫の死が大打撃だったのでしょう。髪も真っ白で54歳とは思えない。

さらにジュリーは16歳で尊敬していた母も失っています。

ジュリーのインフルエンザの看病をしていて、感染したようです。
なくなる前日にジュリーに感動的な手紙を残しています。

ずいぶん苦しんでなく亡くなったためジュリーにそれを見せないようにしていいます。


  


母ベルトとルノアールの描いたジュリー・マネ、可愛すぎます。

マラルメルノワールエドガー・ドガは16歳で孤児となったジュリーの後見人となリます。

16歳のジュリー・マネの写真は流さすがに寂しそうな美少女です。



ジュリーはいとこのポールとジャニー(母イヴ・モリゾは1893年になくなっている。)と一緒に暮らしその時代の少女に許された最大限の自由を享受しつつ
友人を訪問しコンサートに行き、パリ生活を楽しみながら学業や絵の勉強を続けた。

ジュリーの日記によると彼女の両親の友人たちは固い友情に結ばれ、物惜しみしない人物たちだったようである。

ジュリーは幾度もジヴェルニーのモネ家に滞在。

ジュリーの両親は毎週木曜日に芸術家や文学者を招いて夕食会を開いていた。招待客にはマラルメ、モネ、ドガ、ルノワールらがいて、ジュリーは子どもの頃から大人の食卓につくことが許されていた。

ジュリーの世話を焼いた友人たちで一番陽気で享楽的なのはルノワール
。彼は社会主義は民衆や労働者から宗教という慰めを奪ったと批判しています。




ジュリーの絵

ジヴェルニーではいつもドレフュス事件の話題でもちきりであった。モネはベルト・モリゾの友人たちとは異なり、熱烈なドレフュス支持者でありゾラの見方であった。

ルノワールはかなり露骨にフランスのユダヤ人をを非難。だからジュリーもユダヤ人を批判していますがフランスの人民が無実の人間を罰したら許しがたいことだと日記に記している。

年を取ってドガはますます気難しく口うるさくなっていた。彼は新しい発見、電話、飛行機、自転車に対しては非難しかしなかった。犬を嫌い、花の匂いを嫌悪。ジュリーはドガを年寄りのきまぐれで、いたずら好きの伯父のように愛していた。ドガは色々相談に乗ってくれたし、しかも未来の夫エルネスト・ルアールをも紹介してくれた、

ジュリーは様々な人から受けた好意を常に感謝し素晴らしい人生を送った。

彼女のご子息3人のうちお二人が健在で(当時)資料を保存していてくれたおかげで印象派の人々の人物像が浮かびあがります。


海水浴や楽器の演奏、絵画・絵皿制作、ニコライⅡ世訪問を見物した時の花火等を楽しんだジュリー、聡明な品のある女性でした。




一緒に借りた本です。