<span itemprop="headline">冤罪は他人事?映画「約束」</span>
独房の半世紀。 あなたは、その時間を 想像することができますか? 無実を叫び続けている。ずっと。そして、いまも。
日本を代表する名優、仲代達矢(80)が実録映画「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」(斉藤潤一監督)で死刑囚役を熱演している。「まだ生きている人物を演じるわけだから、慎重にならざるを得ない。役者としての演技をしないように、個人の実感として演じた」と役に臨んだ覚悟を語った。(市川雄二)
仲代は平成22年、東海テレビの名物ドキュメンタリー「司法シリーズ」の一つ、「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」のナレーションを担当した。その縁から、同シリーズの阿武野(あぶの)勝彦プロデューサー(53)と斉藤監督(45)のコンビが白羽の矢を立てた。今回はドキュメンタリードラマだ。しかし、仲代は当初、出演依頼を退けた。
子供の時から有名な冤罪事件なのに、87歳の死刑囚奥西勝は今も独房。
夕方からは朝の死刑執行の恐怖におびえる。
「何度裏切られても、彼は信じ続ける。裁判所が事実と良心に従がって、事実を認めてくれると」
1961年、村の懇親会で、ぶどう酒を口にした女たち15人倒れそのうち奥西の妻を含む5人が死亡。
他にも容疑者が3人ほどいたが、奥西は自白を強要されて逮捕。
1964年、津地方裁判所で小川裁判長は自白には信憑性がなく物的証拠も乏しいと無罪判決!
死刑判決!
この事件はほとんど物的証拠がなく、唯一の物証とされているぶどう酒の王冠は事件当日のものとしては古く錆びていた。
のちに弁護団は町工場に王冠の復元を依頼、2年がかりで王冠1800個を制作、代金400万円は全国のカンパで賄われた。
そして当時と同じ瓶と、蓋をする器具を購入すると奥西が自白した方法で開けてみた。ところが奥西があけたとされる王冠のように、つぶれて曲がった物は一つもなかった。
奥西が自白した毒物のニッカリンTは40年前に製造中止。
農薬を見つけるのは困難を極めたがネットで入手。
しかし村の女たちを死にいたらしめたぶどう酒の毒はニッカリンTではなかった。
色も違う。白いブドウ酒なのにニッカリンをいれると赤くなる。
奥西の自白だけが逮捕の決め手となっていた。
再審請求受け入れてくれた裁判長は辞職し、
再び死刑判決下した門野裁判長は最高裁裁判長に栄転!
鈴木弁護士は「奥西さんに死刑宣告し、それを維持し続けた裁判官は50人以上!いますよ。私は彼らの責任を問いたい」
面会を続けた支援者川村富左吉氏
(普通死刑囚には家族か弁護士のみしか面会が許されない、それを何度も頼みこんで面会を実現させた人物、人権団体で冤罪の可能性のある事件の救援活動をしていた。世の中には立派な方もいるものです。感動の映画終わって向かいのすし屋に行きましたら、隣の方はなんと川村さんのお子さんの姑に当たる人でした!
珍しくパンフ買ったので私が映画を観たとおわかりになられました、
次の回の上映を鑑賞されるとか、川村さんがそのようなことをしていたとは御存じなかったそう。こういう話をすると友人は偶然ではない必然だと言ってくれます。)
それまで奥西さんは4回も、再審請求を自分でやっていました。費用がないから。
逮捕された時村中をひきまわされて、罵る村人のなかで幼い子供たちがお父さんに話しかけたのです。
兄妹は別々に親戚に引き取られ一家は離散。
その長男は62歳で亡くなり、名古屋の拘置所に通っていた母も亡くなりました。
自白で容疑者が一人に絞られると、それと矛盾しないように村人の証言が奥西一人だけに疑いが集中するように変えられていった!
奥西家のお墓も墓地の外に出されたのです!
左は名古屋・東海テレビのディレクター斉藤純一さん。実在する取材対象に長く密着し、本音や真相に迫る。
そんなドキュメンタリーの手法で数々の賞をさらってきた方です。
この事件のドキュメントを三本作ったが本人には会えない、死刑執行におびえて生きる絶望感を伝えられなかったと、映画化。
支援者は奥西さんが目の前に現れたようだと。
仲代さんの本を最近二冊読ました。映画の黄金期に、有名監督と世界的な仕事をされた方に演じてもらい私も嬉しいです。
小さな運動場で一人歩く奥西さんが二回出てきますがその歩きかたで年月がわかります。
太郎さんの講演会、映画「EDEN」も観ました。彼もまるで冤罪のように叩かれていますね。
35歳の実際の奥西さんはとても立派なお顔、今の35とは違う大人ですけど。
母は樹木希林(テレビで誰にでも起きる問題と、その通りですね)、川村は地元の天野鎮雄(仲代さんと共演されて良かったですね)
ナレーション寺島しのぶ
月曜日の10時からの上映でしたがけっこう入っていて良かった!
すすり泣きも聞こえてきました。
皆さんも他人事でないので応援してください。
私は冤罪の勉強始めたころ、名古屋の大久手で起きた事件で長く冤罪で苦しんだ吉田岩窟王のことを知りました。
その時も今の市政資料館になっている元名古屋高裁の赤レンガ建物で裁判が行われました。
追記
「この様な毒殺事件の犯人は女性が多い」と誘導されて妻が毒を入れた。と供述
ぶどう酒の色は白だったのに、奥西が入れたとされる農薬を入れると赤になる!
法医学の権威日大の松倉教授は、王冠を奥西が歯で開けた歯形と王冠の傷の解析で片方の写真を二倍にして傷跡を一致させていた。
この様な証拠があっても奥西さんが死刑とは、これでは何のための裁判や再審でしょう。
日本の冤罪は多いし、絞首刑も残酷に長く苦しめながら国家が殺すのです。秘密裏に。
母から獄中の奥西さんに送った手紙は969通に及んだ
母タツノは88年に亡くなるまで三重県内のアパートに独りで暮らした。月1回は内職で得た金を手に
面会へ。毎週のように送った手紙には、死刑囚となった息子への励ましと苦悩がにじんでいる。
「おとなしいのは、そんです。してない事はしたというな。しんでもしないというてけ」(72年の上告審
判決で死刑が確定した直後)
「ほしいものがあれば母がはだかになってもかってやるから手紙でおしえておくれ」(73年の第1次
再審請求直前)
「あんかを入れてねると勝は寒くないのかと心配で、勝のゆめを見るのです。びっくりしてとびだして
みると、うそ(夢)でした。ざんねんでなみだがでて目が見えませんでした。ゆめなのに本とうの事の
ように思えて」(亡くなる半年前)
奥西は2005年、第7次再審請求審の意見書に書いた。「母は息子の無実の罪を晴らしてやりたい
一心だった。元気なうちに晴らしてほしかった」
逮捕の約7カ月後、手錠姿で現場検証に立ち会う奥西に、中学生の長男、小学生の長女が駆け寄る
写真がある。「『お父ちゃん、お父ちゃん』と何度も叫び続けていた。その声は今も耳の奥に残って
いる。私はどうしてやることもできなかった」と奥西は述懐する。
面会へ。毎週のように送った手紙には、死刑囚となった息子への励ましと苦悩がにじんでいる。
「おとなしいのは、そんです。してない事はしたというな。しんでもしないというてけ」(72年の上告審
判決で死刑が確定した直後)
「ほしいものがあれば母がはだかになってもかってやるから手紙でおしえておくれ」(73年の第1次
再審請求直前)
「あんかを入れてねると勝は寒くないのかと心配で、勝のゆめを見るのです。びっくりしてとびだして
みると、うそ(夢)でした。ざんねんでなみだがでて目が見えませんでした。ゆめなのに本とうの事の
ように思えて」(亡くなる半年前)
奥西は2005年、第7次再審請求審の意見書に書いた。「母は息子の無実の罪を晴らしてやりたい
一心だった。元気なうちに晴らしてほしかった」
逮捕の約7カ月後、手錠姿で現場検証に立ち会う奥西に、中学生の長男、小学生の長女が駆け寄る
写真がある。「『お父ちゃん、お父ちゃん』と何度も叫び続けていた。その声は今も耳の奥に残って
いる。私はどうしてやることもできなかった」と奥西は述懐する。
奥西さんが無罪を主張してから村人の態度ががらりと変わり母タツノにも暴行、
日本人はおかみと地域のボスに弱いということでしょうか。
無実を叫び続けながら52年間も勾留されている奥西死刑囚を演じた仲代は「これまで役者を60年やってきましたが、実在する人物を演じたのはこれが初めてです。映画やドラマでは虚と実の間にいる人物を演じればいいのですが、実在する人物を演じるということはとても難しかったです」と話した。
また「事件に関するいろんな資料を見たり話を聞いたりして、僕は奥西さんが無実であることを信じています。極端な言い方ですが、このまま奥西さんが死ぬまで(無罪を)決定しないようなことがあるなら、司法が殺人者になるであろうと思っています」と強い口調で語った。
本作は日本の司法に異議を申し立てるような挑戦的部分がある。樹木は「仲代さんも私も“もうこの作品で仕事がなくなるな”と覚悟を決めています。仲代さんが80歳で、私も70歳だからもう(仕事がなくなっても)いいかと思っている覚悟なんです」と話した。
また「事件に関するいろんな資料を見たり話を聞いたりして、僕は奥西さんが無実であることを信じています。極端な言い方ですが、このまま奥西さんが死ぬまで(無罪を)決定しないようなことがあるなら、司法が殺人者になるであろうと思っています」と強い口調で語った。
本作は日本の司法に異議を申し立てるような挑戦的部分がある。樹木は「仲代さんも私も“もうこの作品で仕事がなくなるな”と覚悟を決めています。仲代さんが80歳で、私も70歳だからもう(仕事がなくなっても)いいかと思っている覚悟なんです」と話した。