riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">どんなことがあっても わたしたちは人間であり続けたい♪</span>

 

 
 
美しい自然や生き物を愛し 尊敬し
人間に生まれたことに感謝し
人間であることを
かみしめたい
 
星の瞬きの 音が聞こえるような♪
 
朝露の草木の秀より
目覚めの大地へ
まろび弾ける~喜び光のように
 
 
命を愛したい
 
 
どんなことがあっても わたしたちは人間であり続けたい
 
 
 
 
 
原発は今すぐ廃止せよ さまより 抜粋転記↓
 
 
2006年8月6日放送  ザ・スクープスペシャ

<特集2>許されざるメス~九州大学生体解剖事件~

原爆開発だけが形勢逆転の一縷の望みとなった太平洋戦争末期、
九州大学医学部に“実験材料”が届いた。目隠しされた人々の正体は、
B29で空襲しようとして撃墜され、捕虜となったアメリカ兵だった。
片肺を取り除いても人間は生きていられるのか?
血管に海水を注入するとどうなるのか?
医学部教授による人体実験は4回にわたって行われ、犠牲者は8人に上った。

一体なぜ、どういう思いで医者たちは“悪魔の実験”に突き進んでいったのか?
この事実は、終戦後、GHQによる横浜軍事裁判によって明らかとなり、
公判記録を元に遠藤周作が小説「海と毒薬」を発表した。
しかし、当事者たちは堅く口を閉ざしたまま全員が他界してしまった。
最後の目撃者、福岡で開業医を営む東野利夫氏を除いて…。

当時、九州大学医学部に入学したばかりで、訳も分からず解剖学教室の助手を務めて
いた18歳の少年が目撃した真実とは?
あれから61年、今年79歳になった東野氏の世界初証言をはじめ、
国立公文書館に保存されていたGHQの裁判資料や遺族の証言などから、
恐るべき悲劇の全貌に迫る。


 

米軍飛行士生体解剖事件2/3

 
 
 

米軍飛行士生体解剖事件3/3

 
 
 
 
1945年5月5日午前、
大分県竹田市大宇平田折立に、
29BG所属のB-29(機体番号42-65305)が墜落。
 
これは日本海軍343空剣部隊の
粕谷兵曹操縦の紫電改­の体当たり攻撃による結果だった。
 
粕谷兵曹は墜落死。
米兵は、機長M.S. Watkins大尉は尋問のために東京に送られ他の6人Dale E. Planbeck少尉, John C. Colehower伍長, Leon E, Czarneck伍長、Teddy J. Ponzca軍曹, Robert B. Williams伍長, William R. Fredericks少尉は、5月17日から6月2日にかけて4回にわたって九大学医学部で生体解剖実験で殺害された模様。
 
 
戦後の戦犯裁判で、
西部軍と九大学医学部の関係­者23人が死刑を含む有罪とされた。
 
 
が後に冷戦下、全員が恩赦で釈放された。
事件の33回忌にあたる1977年5月5日、
死亡した日米の飛行士を慰霊する「殉空の塔」
が地元の人々によって墜落現場に建てられ、
毎年慰霊祭が行われている。

(引用感謝 終)


転載元: 模型飛機