<span itemprop="headline">緒方貞子、すべては命を救うために</span>
昨夜の緒方貞子ドキュメンタリー如何でしたか。
“小さな巨人”と称えられ、その類いまれなる行動力と決断力が、今も世界の尊敬を集める、一人の日本人女性がいる。
緒方貞子さん、85歳。1991年から10年に渡って国連の難民救済機関UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のトップを務め、“戦争が生み出した弱者”である難民を救うため、世界を駆け回った。
ある時は防弾チョッキを身につけて紛争地に自ら足を運ぶなど、徹底した現場主義を貫いた緒方さん。
難民一人一人の声に耳を傾け、一人でも多くの命を救うために、前例にとらわれない決断を次々と下していった。
人道支援の歴史を変えたとも言われる、大胆かつ勇気ある行動と決断
。 そこには、これまで明かされることのなかった、緒方さん自身の、幼少期からの戦争を巡る経験や、人生の節目節目での意外な人々との出会いも、大きく影響していた。
緒方さんが果たした難民高等弁務官としての業績と知られざる人生を、ドラマとドキュメンタリーを織り交ぜながら、壮大なスケールで描いていく。
さらに、85歳の今なお、戦争の悲劇を考え語り続ける緒方さんの熱いメッセージも、ふんだんに織り込んでいく。
緒方貞子さん、85歳。1991年から10年に渡って国連の難民救済機関UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のトップを務め、“戦争が生み出した弱者”である難民を救うため、世界を駆け回った。
ある時は防弾チョッキを身につけて紛争地に自ら足を運ぶなど、徹底した現場主義を貫いた緒方さん。
難民一人一人の声に耳を傾け、一人でも多くの命を救うために、前例にとらわれない決断を次々と下していった。
人道支援の歴史を変えたとも言われる、大胆かつ勇気ある行動と決断
。 そこには、これまで明かされることのなかった、緒方さん自身の、幼少期からの戦争を巡る経験や、人生の節目節目での意外な人々との出会いも、大きく影響していた。
緒方さんが果たした難民高等弁務官としての業績と知られざる人生を、ドラマとドキュメンタリーを織り交ぜながら、壮大なスケールで描いていく。
さらに、85歳の今なお、戦争の悲劇を考え語り続ける緒方さんの熱いメッセージも、ふんだんに織り込んでいく。
前からこの方の事を知りたかったので嬉しかったですね。
市川房江、懐かしい!
父が母をまきで殴ると言う男女差別が厳しい時代に疑問を感じて女性運動に生涯をささげた方。
佐々木すみ江が登場しすぐ市川房江とわかりました! 燃えます。
斉藤由貴は昔、民放のドラマで新婚直後に夫を日本に強制連行された妻を演じました。
夫を探して日本からサハリンまでの辛い旅路、友人はだまされて慰安婦にされました。
サハリンで夫を探しあてますがサハリンと韓国にまた別れわかれになってしまうストーリーでした。
緒方さんはみんなの意見を聞き率直に決断を下す、トップの鏡ですね。
しかも命を最優先。これですよね。
絶望している人々の苦しみを和らげること。
世界には難民があふれ島国の日本人は今まで幸運でした。
聖心女子大の学長マザーブリッド、鍋の底を洗うだけの女性になってはいけない。
頭を使って考えなさい。
結婚のことを考える暇があるのならとにかく勉強しなさい。
学生自治会の会長に選ばれた貞子に「リーダーシップをしっかり発揮しなさい。
学生たちのイニシアチブで活動しなさい。学生たち自身でアイデアを出し合いまとめる、あなたならきっと出来ますよ」
教育の力素晴らしいですね。自立しなさい。その場に灯を掲げられる女性になるのですと教えた学長。
良妻賢母、とにかく学校も辞めてもいいから早く結婚して子供を産めというそれまでの日本の方針とは大違い。今の総理はこんな古い頭?
どうしてアメリカや中国とそういう戦争をしたのか。
「互いに良く白話し合うことが大切」
とディナーに招いてくれたアメリカ女性に言われた。
これでは中国人が怒るわけです。
貞子が研究のため元関東軍参謀片倉 衷(かたくら ただし)を訪問し
何も考えていなかった陸軍大臣と。
緒方さんの祖父の元外務大臣芳澤謙は、国際的視野がなかった日本と。
そうでしょうね。ちょっと考えればわかることなのに。無責任すぎます。
緒方さんは今の世界、日本も同じ。勝手によそへ入り込んで、こちらのいいようなことはできない、内向き名上に妙な確信を持って押しつける。無知。
この言葉を真摯に受け止めてほしい。
引き上げると言う国境を超える医師団に緒方さんは、見捨てるわけにはいかないと。
難民キャンプにはダサコ・オガタと名乗る少女が何人もいる!
同僚加藤淳平 白人に感心しアフリカ人を差別する人は多いが緒方さんは違う。
無名のアフリカの青年の優秀な人を見抜く力
防弾チョッキを着なければならないほどの危険な任務もありました。