riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">天皇と軍隊 9条はなぜ必要だったのか?なぜ天皇制は存続したのか?</span>


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9条はなぜ必要だったのか?
なぜ天皇制は存続したのか?

2015/07/14 に公開
経済的に大きな発展を遂げた戦後日本の原点である天皇制と戦争放棄に切り込んだ渾身(­こんしん)のドキュメンタリー。曖昧で矛盾に満ちた日本のシステムを、数々のインタビ­ューや世界中から集めた貴重なアーカイブ映像を交えてひもといていく。今は亡き政治家­の田英夫氏や、日本国憲法人権条項の草案作成のメンバーだったベアテ・シロタ・ゴード­ン氏らが登場する。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0020229
配給: きろくびと

臨席はノート広げてメモ取る男性、
大きなスーツケースが
置いてありました。遠くから鑑賞に来られたのか?

報道の魂← 2010年4月放送!

戦後日本を描いたフランスのドキュメンタリー作品が、話題になっている。タイトルは『天皇と軍隊』。日本国憲法の一条と九条、すなわち「天皇制」と「戦争放棄」の問題にストレートに切り込んだ内容だ。
この作品は、海外で高く評価されているだけでなく、日本人がみても、新鮮な内容に驚かされる。「天皇」、「軍隊」について、これほど真摯に問題提起しているドキュメンタリーは数多くないが、何よりも戦後日本のたどった歴史をあらためて考えさせられるからである。

ドキュメンタリー作品『天皇と軍隊』で描かれた、戦後日本の姿とは?そして、このドキュメンタリーが日本社会にインパクトを与える理由は?
作品の内容を、予告で語ることはしない。『天皇と軍隊』の本編を見ながら、一本のドキュメンタリーが描き出す日本の姿について考えてみたい。


TBS制作パート
企画:大山寛恭(報道局)
構成:秋山浩之(報道局)

ドキュメンタリー『天皇と軍隊』
制作:ARTE
監督:渡辺謙
フランスのドキュメンタリー作品だと思ったら監督は
パリ在住の渡辺謙一氏

冒頭に子供たちが映ると戦災孤児ではないかと泣けてきそうでした。

親も家も奪われて…

中曽根・小泉が靖国公式参拝アジア諸国の神経を逆なで。

嬉々としてコスプレして参拝する人たちの姿に天皇教の抜きがたい精神を危惧します。

江戸時代はほとんど庶民は天皇の存在を知らなかった。

江戸幕府の政策で風流の道のみ、結構貧乏だったらしい。

明治になって薩長藩閥政府が庶民に天皇の存在を骨に髄までしみ込ませようと

仁徳天皇陵などと言っていた大仙古墳など(考古学者は天皇陵とは言わない)

大きな古墳は天皇陵にしてしまい、立ち入り禁止、研究もさせない。

させるとばれるから。

江戸時代古墳では花見していたらしい。


一世一元(江戸時代までは元号天皇の行き死にと関係なく自然現象などで改元していた)


あり得ない万世一系、
天皇家はずっと繋がっているとありがたく見せるけれど

古代に王朝交代しているはずだが隠されている。

日本書紀などは勝利者の歴史なので敗者は消されているでしょう。

初期の天皇ほど140歳とか, あり得ない。神武天皇から何代かは架空

わかりやすいのは南北朝時代

今の天皇家北朝なのに(これも明治に天皇をすり替えたと言う説もあり)南朝を持ちあげる矛盾、
天皇のために尽くした楠正成をたたえ、足利尊氏をおとしめる…

天皇のために死ねということですね。

源氏物語だけでなく実在の崇徳上皇の出生の秘密や
後深草院二条『とはずがたり』の生涯みても万世一系はあり得ない。

脱線してますが絞首刑になった東条は意外と顔が優しい。

天皇が訴追されないように守ったのでしょうか。

自殺未遂事件についても諸説あることを今回Wikiで知りました。


天皇が原爆について問われた時は野動画


戦争に負けるまで日本政府は帝国主義国家で米英はじめとする世界を相手に喧嘩の戦争

明治以来アジアに侵略してアジア諸国に甚大な被害を与えたことを忘れるわけにはいきません

日本の被害をはるかに上回るのが、日本がアジア諸国に与えた被害である。各国の死者はいずれも不正確な数字しかないが、中国千数百万人、フィリピン約一一〇万人、インドシナ二百万人、インドネシア二百万人をはじめ、アジア全体では二千万人にのぼると見られている。そのほとんどは民間人であり、南京一〇数万~二〇万人、シンガポール四~五万人のように日本軍によって虐殺された人も多い。またインドシナの二百万人は、日本軍が米を徴発する一方で米作から麻などの軍用作物の生産に強制的に転換させた結果、餓死した人の数である。
 二三〇万人の軍人・軍属のなかには朝鮮人と台湾人の約五万人も含まれている。朝鮮人については、戦死者以外に行方不明をあわせると約一五万人にものぼるし、ほかに強制連行による犠牲者は約六万四千人とも言われている。また四万八千人の朝鮮人が被爆しそのうち約三万人が死亡したと見られている。←

今日の東京新聞夕刊には

1945年5月31日は米軍が台湾、台北市を空襲し、総督府が炎上
3000人超える犠牲者を出したと。

台湾全土では6000人以上
の死者

これも日本が植民地にしていなければなかった被害。

ちなみに朝刊には大きく

若者怒り拡大 安保法案全国60ヵ所で反対

これを報道しない新聞・テレビは駄目です。

敗戦後日本政府が提出した憲法草案は明治憲法と全く同じでした。
この映画の中で7日間で今の憲法を作ったと伝えているので、誤解しないにしてほしい。


ベアテ・ゴードンさんは焼け残った図書館を廻り世界の先進的な憲法を集めてきたので他の草案作成のメンバーにも重宝がられた。

高野岩三郎の共和制の憲法草案もあった。

鈴木安蔵中心の憲法研究会の案が英訳されGHQ案に取り入れられた。
彼らは明治政府により葬り去られたいわゆる五日市憲法
植木 枝盛の草案を引き継いでいた。



戦前の日本に住んでいたベアテさんは日本女性の惨めな境遇に心痛め男女平等を取り入れた。彼女はまだ不充分と涙浮かべて主張したが日本の保守階級は抵抗した。
押し付けられたと思ったのはそういう特権階級。あの当時新憲法を国民がどんなに歓迎したか。秘密のうちに作られた憲法を押し付けられた戦前と違い議会で審議、通過している

ベアテ・シロタさんのことはジェームス三木が舞台「真珠の首飾り」にしてくれました。
【ニューヨーク草野和彦】第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)民政局員として日本国憲法の男女平等などの条項を起草した米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのため、ニューヨーク市内の自宅で死亡した。89歳だった。親族が毎日新聞に明らかにした。
 ゴードンさんは生前、「日本の憲法は米国の憲法より素晴らしい。決して『押しつけ』ではない」と主張し、9条(戦争放棄)を含む改憲の動きに反対していた。親族は、故人への供花をする代わりに、作家の大江健三郎さんらが設立した「9条の会」への寄付などを呼びかけている。
 1923年、ウィーン生まれ。有名ピアニストだった父が東京音楽学校(現東京芸大)に招かれたことに伴い、一家で来日。5〜15歳まで東京で暮らした。米国の大学に進学後に太平洋戦争が開戦。ニューヨークで米タイム誌に勤務していたころ、日本に残った両親の無事を知ってGHQの民間人要員に応募、45年に再来日した。
 25人の民政局員の中では最年少の22歳だった。憲法起草委員会では人権部門を担当。10年間の日本生活で、貧しい家の少女の身売りなどを見知っていたことから、女性の地位向上を提案。14条(法の下の平等)や24条(両性の平等)に反映された。
 米国に戻った後もしばしば講演などで来日。00年5月2日には国会の憲法調査会で意見陳述し、「日本国憲法は世界に誇るモデルだから50年以上も改正されなかった。他の国にその精神を広げてほしい」と訴えた。
 また、ニューヨークの日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」などに勤務し、狂言野村万蔵さん、版画家の棟方志功さん、茶道の千宗室さんらを米国で紹介。文化の橋渡し役としても活躍した。



9条はなぜ必要だったのか?
なぜ天皇制は存続したのか?

9条なくては天皇制が危ういから。

被害受けたアジア諸国はなんとかこれで納得してくれたでしょう。

米国内でも天皇訴追しなければと言う意見が強かったが
マッカーサー天皇制を利用してスムーズに日本を支配し、

ソ連と対抗したのです。

でも9条で国民も守られてきました。