riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">高遠菜穂子さんに聞く、東京新聞「こちら特報部」より</span>

高遠菜穂子さんに聞く


安全保障関連法案の審議が大詰めを迎えている。
安倍政権は、米国の戦争に巻き込まれることは「絶対にあり得ない」と言い募るが、日本には大義なきイラク戦争に加担した過去がある。

後方支援を含む自衛隊の「戦争参加」はどんな影響をもたらすのか。
2004年にイラク武装勢力による人質事件に巻き込まれ、現在もイラクで支援活動を続ける高遠葉穂子さん(45)に聞いた。(中山洋子)

8月下旬、千葉市で開かれた講演会で、高遠さんはスクリーンに真新しい病院の画像を映した。

「この写真を覚えていてください」。
13年夏に日本の政府開発援助(ODA)で再建されたイラクファルージャの母子病院。
画像の中には、医療支援に奔走する高遠さんの姿もある。
だが今、このかすかな復興の兆しは跡形もない。

14年1月にファルージヤは過激派組織「イスラム国」 (IS)に占拠され、政府軍による無差別空爆が始まった。

今年8月13日には、母子病院も破壊された。
病院の空爆で新生児や母親を含む22人が死亡、55人が負傷したというり変わり果てた病院や黒焦げの遺体の画像を投影しながら、高遠さんはやりきれない表情で訴えた。

イラク戦争を支持した日本にもこの混乱の責任がある。

なのに、米国や英国が大量破壊兵器を理由にした攻撃の誤りを認めても、日本はこ
の点だけは追従しない。
安倍晋三首相は今も『イラクが悪かった』と繰り返し、多くの日本人もイラクのことを忘れている」

イラク戦争開始直後の03年5月から、現地で住民の支援活動を続けてきた。

人質事件に巻き込まれたのは、04年4月のことだ。

陸上自衛隊が、復興支援活動として南部のサマワに派遣されていた。

撤退を求める武装集団に、他の二人の日本人とともにファルージヤ近郊で拉致された。
日本政府はこの要求を拒否。
3人は8日後に解放された。

帰国した高遠さんたちを待っていたのは「自己責任論」の激しいバッシング。

当時、自民党幹事長の立場にあった安倍首相も「納税者の税金を使っているし、政府も危険を冒して交渉しなければならない。
(人質たちに)自覚があったかどうか少し疑問だ」と発言し、バッシングを助長した。

精神的なショックは大きく、自宅に引きこもった。

自宅には何通も脅迫状が届いた。
家族は高遠さんに励ましの手紙しか見せていなかったが、帰国から4カ月後、黒い縁取りに家族の各前と「天誅」の文字が書かれたはがきを見つけてしまう。

イラクで殺されていればよかった。私が殺されていたら家族がこんなふうに言われなかった」と泣きわめいた高遠さんは、母にぶたれた。

「二度とそんなこと言うんじゃない。早くどこでも行ってイラク人に会ってこい」

目が覚めた高遠さんは再びイラク支援に立ち上がる。

市民団体「イラクホープネットワーク」を設立し、隣国ヨルダンを拠点に支援活動を再開。
09年からはイラクにも入り、米軍の猛攻を受けたファルージャを中心に支援物資を届けたり、病院に日本や米国人の医師を招く活動を続けてきた。



イラクは今、出口の見えない混迷にある。
22年末に「反テロ法」に反対するスンニ派住民たちのデモ隊を治安維持部隊が襲撃。
武装蜂起したスンニ派部族と政府軍が激しい戦闘を繰り広げた。

その隙に、ISが支配地域を拡大した。
「この一年、ISにも、ISを掃討する政府軍のどちらにもイラクの友人を殺された。
ISの行きすぎたイスラム法を批判した友人は処刑され、政府軍はスンニ派住民をやみくもにIS支持者とみなし、空爆を繰り返す。

住民たちには行き場がない。
これ以上、友人たちが殺されるのを見たくない」高遠さんは、自衛隊の海外活動を拡大する安保法案を「世界の平和にも日本の安全にも役に立たない」と危ぶむ。

武力行使は、「対テロ戦争」を拡散するだけで、戦争や紛争の終結につながらない。多くの犠牲を生んでいるイラク戦争の教訓だ。

安倍首相は、海外で活動するNGOやボランティアを守る法案だとも強調している。

だが、この「邦人保護」の言葉に違和感がぬぐえない。
海外から奇異に映るほど日本の政治家たちは自国民の人質に対し冷淡だ。

イタリア人記者に「イタリアはどんな愚かな人間でも、犯罪者であっても助ける。
でも日本政府は違うよね」とあきれられた。

イラクでは、日本について「原爆を落とされながら復興を成し遂げた平和国家」のイメージが強く、親日家が多かった。
そんな日本幻想はサマワへの陸自派遣で打ち砕かれた。

高遠さんは現地の知人から「日本には軍隊はないと聞いている」と真顔で聞かれたこともあった。
「当時の小泉首相が『人道復興支援』を強調したため、イラクの人々はサマワに来るのはトヨタソニーだと思い込んでいた。

だが、やってきたのは武装した自衛隊
誤解も含めて平和国家というブランドが日本人を守っていたが、もう日の丸を掲げて活動はできない」と話す。

実際、緊急物資を届ける際、現地スタッフの安全を考えると日本からの支援であることを隠さなければならなかった。
イラクのことを忘れていない日本人たちからのカンパだと告白できたのは、自衛隊が撤退した07年ごろからだ。

今年1月、安倍首相はIS対策として二億㌦の拠出を表明し「人道支援」と強調したが、知り合いのイラク人から皮肉まじりにこう言われた。

人道支援と言いながら、また私たちを殺す側に回るのか」

衆院での安保法案の強行採決も海外で大きく報じられた。
海外メディアは「第二次世界大戦後初めて、日本が海外で戦争できる法律」と本質を突いた。

心配するのは、こうした世界の見方を多くの日本人が知らないでいることだ。

「日本のニュースだけでは国際情勢をまったく把握できない。
世界では『第三次世界大戦に突入している』と言われているのに、日本は『情報鎖国』の状態。危機感を共有していない」。

世界情勢に無頓着なまま、安保法案の成立を急ぐ現状を危険に感じる。

「安保法案で自衛隊が駆り出されるのは米国の『対テロ戦争』の戦場になるだろう。もう『知らなかった』という言い訳は許されない」

日本人ボランティアも減っている。
「日本人よりはるかに憎悪を集める米国人であっても、危険を顧みずに現地でボランティアを続ける人も少なくない。

イラク攻撃への『償い』として六十代でヨルダンに渡り、イラク難民を支援する米国人
女性もいる。
厳しい反米感情を受け止め、現地で信頼を築いている。

もっと日本人も人道支援の現場に関わってほしい」と切望する。
日本政府がいくら「後方支援」と取り繕っても、テロとの戦いに苦しむ人々には、自衛隊の海外活動の拡大は「戦争支援」にほかならない。

「国内で平和憲法を守るだけでは足りない。むしろ日本は戦争を止めるための仲介もできるはず。

平和国家のブランドを生かし、何ができるかを考えてほしい」

【デスクメモ】
世界の紛争地で人道支援活動に当たる日本のNGOや市民団体はたくさんある。
そうした現場を知る人たちは、こぞって安保法案に反対している。
日本の信頼萱口同めている彼らを、ざらなる危険にさらしてどうする。
安全な場所で「自己責任」を叫ぶのは簡単だ。
イラク戦争を支持した責任はどうなったのか。(国)


高遠菜穂子さんはNGO非戦ネットを通じても活動を行っています。
NGO非戦ネット


転載元: country-gentleman