<span itemprop="headline">映画フジタと小栗監督の猫など</span>
これから公開される映画ですが映画予告や小栗監督のインタビューがETV特集で放送されました。
観たい映画です。
←子供の時親に買ってもらった画集です。
非難された
おかっぱ頭もパリで貧窮していたので自分でカットしていたもの、(良家のお坊ちゃんでしたが第一世界大戦で送金が途絶え3日も食べられなかったことも、猫の餌にやると安いモツを買って食べた、肉屋がお前の家に猫はいないと言うとおれが猫だ
といいですね、こういう反骨精神好きです)
おかっぱ頭もパリで貧窮していたので自分でカットしていたもの、(良家のお坊ちゃんでしたが第一世界大戦で送金が途絶え3日も食べられなかったことも、猫の餌にやると安いモツを買って食べた、肉屋がお前の家に猫はいないと言うとおれが猫だ
といいですね、こういう反骨精神好きです)
今も昔も嫌らしい、非難するマスごみや心の狭い人たち
今も変わりませんね。
すぐ偏向してる、非国民等、ばかの一つ覚えです。
監督が言うには市民革命を体験しているヨーロッパは個人主義
そこで孤独に耐えて大成したフジタ
フジタが言うように当時はパリなどに留学するがまともに現地の画家と闘わず、帰国した時の箔付けのような人たちもいたのでしょう。
日本の絵画教育に飽き足らず留学
ルーブルで模写し、一日18時間も絵を描いた。
描くのが好きでたまらなかったのでしょう。
私は獰猛な猫像や女性像だけでなく彼の手仕事が大好きです。
服からカーテン、裁縫箱、額、団扇、お皿(松坂屋美術館で購入したフジタの子供の絵の付いた箱入りの小皿の使いやすいこと、
擬人化した猫なのですが使いやすく毎日のように使用してます!)
自宅(自作のズボンのミニも!)や教会のステンドグラス付きの模型、ありとあらゆるもの手作りされています。
藤田が日本人から忘れられた画家?
私は子供の頃、絵を習っていたので、丸木夫妻の原爆の図や藤田の絵、モローの絵など観ていました。
監督は犬派だったのに、この番組で迷い猫が来て住み着き膝に載ってました。可愛い猫です。
小栗監督は名古屋の中川運河を「泥の河」でロケに使ってくれました。
以前、友人にこの松重閘門を写メールしたら「又、イギリスに行ったの?」と勘違いした建物です。
なんと日本の近代遺産50選に入っています。1930
なんと日本の近代遺産50選に入っています。1930
水上の貴婦人
中川運河と堀川つなぐ名古屋港水運の要
中川運河と堀川つなぐ名古屋港水運の要
設計者 藤井信武(名古屋市建設課)
尖塔は、鉄扉を動かすための錘(おもり)が上下するためにある。使用停止後には取り壊される予定であったが、住民運動などによって存続し、1993年(平成5年)には名古屋市の都市景観重要建築物に指定されている。周囲は「松重閘門公園」とされて整備され、夜間にはライトアップもなされている。
尖塔は、鉄扉を動かすための錘(おもり)が上下するためにある。使用停止後には取り壊される予定であったが、住民運動などによって存続し、1993年(平成5年)には名古屋市の都市景観重要建築物に指定されている。周囲は「松重閘門公園」とされて整備され、夜間にはライトアップもなされている。
松坂屋美術館のフジタのアトリエ再現に感激し、2011年に訪問したパリ郊外のアトリエです。
行きはバスが見つからずベルサイユからタクシーに乗り途中フジタも使用したジュイ布美術館に寄り(マリーアントワネットもお気に入りの布、今でもヨーロッパの映画等観ていると壁紙や食器に使われてます。私も大好きで復刻版の布やバック、食器など買いました。)
当時日本政府やマスごみは
全滅を玉砕・
みちまろさん
「藤田嗣治「異邦人」の生涯」のなかで印象に残ったエピソードが紹介されていました。1940年の出来事でした。藤田嗣治のアトリエに陸軍中将と名のる一人の初老の男性が訪れたそうです。男性は、ノモンハン事件の絵を描いてほしいと頼んだそうです。ノモンハン事件は、歴史の教科書では「事件」ということになっていますが、現象としては、一般的な「事件」という言葉の枠組みを越えて、戦闘と呼ぶにふさわしい日ソの武力衝突でした。満州に駐屯する関東軍とシベリアに駐屯するソ連軍が戦いました。装備に乏しい関東軍は高度に機械化されたソ連軍にこてんぱんにやられました。戦場には数万の日本兵の死体が積み重なったようです。
戦争中は、戦意高揚のために戦争画の巡回展が日本全国で開催されたそうです。藤田嗣治は、青森で行われた巡回展の会場に一人で訪れる機会があったようです。老人たちが「アッツ島玉砕」の前にひざをついて祈り拝んでいる姿を見かけました。藤田嗣治は、「生まれて初めて自分の画がこれほど迄に感銘を与え」た風景を見たと言っていたようです。
「国民に知られるのは避けなければならないのですが、これは個人的な依頼です。戦死した部下の霊を慰めるためぜひとも絵を描いてほしいのです」
戦争中は、戦意高揚のために戦争画の巡回展が日本全国で開催されたそうです。藤田嗣治は、青森で行われた巡回展の会場に一人で訪れる機会があったようです。老人たちが「アッツ島玉砕」の前にひざをついて祈り拝んでいる姿を見かけました。藤田嗣治は、「生まれて初めて自分の画がこれほど迄に感銘を与え」た風景を見たと言っていたようです。
ランスのチャペルに行った時もらってきたパンフです。
アフリカ系のマリアもいいでしょう。
原爆も描かれていますが撮影禁止でした。
戦後20代にフランスに柔道を教えに行った福田さんは日本人嫌いと言われていたフジタに可愛がられました。
日本にいる福田さんの両親にボイスレターを送ることを勧めたフジタ、
お陰で優しいお爺さんの一面が残りました。福田さんの両親に呼び掛けているテープが残っています。
フジタのアトリエには歌舞伎や浪曲のレコード、カツラ等があり日本を思う気持ちに胸が痛いほどでした。
祖国に愛されず、帰化してもフランス人として扱われなかったと、フジタは書き残してました。
あれほどの大画家となっても…
11/14公開。映画『FOUJITA』公式サイト。名匠 小栗康平監督。オダギリジョー主演。二 つの国、そして戦争という時代に生き、画家を全うしたフジタ。その知られざる世界を 静謐な映像美で描く。映画公式サイト
経歴 おぐり・こうへい 1945年生まれ。フリーの助監督として浦山桐郎監督に師事。81年の監督デビュー作「泥の河」でモスクワ映画祭銀賞を受賞。「伽●子のために」(84年)でジョルジュ・サドゥール賞、「死の 棘(とげ) 」(90年)でカンヌ国際映画祭グランプリと国際批評家連盟賞を受賞。人口200万人突破を記念して群馬県が製作した「眠る男」(96年)はモントリオール世界映画祭審査員特別大賞を受賞し、東京・岩波ホールでの上映は単館での興行収入の新記録を打ち立てた。2005年の「埋もれ木」以来、10年ぶりとなる新作「FOUJITA」が今秋公開予定。栃木県益子町在住。
名古屋でも又フジタ展があります。
ランス市に寄贈された今まで未公開だった作品を展示
その少年のデッサン画素晴らしい。
前にテレビで子供の時フジタのモデルになった女の子の成人した姿を観ました。