riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">戦争画リターンズ藤田嗣治とアッツ島の花々</span>


↑詳しいサイト
を観て美術館で買ってきた本や図書館で借りた本、何冊か読みました。












平山氏は藤田には何回も皮肉な書き方していて気になります。
人殺しを強いられ殺し戦死した兵隊を
軍神」「神兵」と讃えて戦後も評価が高いのにフジタにたいしては。

火野葦平岡本太郎ピカソドナルド・キーン等続々と著名人が登場!

藤田嗣治の描いた「アッツ島玉砕」画から出発し、博捜な知識と史実の探索を経て、いわゆる戦争記録画(戦争画)をめぐる歴史の明暗やアッツ戦の経緯と実相をはじめとする興味深い史実へと芋蔓式に読者を導く知的興奮の一書。それにしても、寒帯植物の世界有数の宝庫ではあるが軍事作戦上全く意味の無いアッツ島占領が、生物学者でもあった昭和天皇の意思による(あるいは軍人がそれを忖度した?)ものであったかも知れないことを窺わせる記述(351頁、376~383頁)にはふっ飛んだ。(また、玉砕後に発信された天皇電の挿話(71~74頁)には胸を突かれたし、もう一枚の「哈爾哈河畔之戦闘」画が存在していたという事実(175~180頁)には驚かされた。)


↑同感です。

アッツ桜等有名ですがそんな強風・極寒で人が住めないようなところに
大勢戦争に行かせ、見殺しにする、残酷極まりない戦争指導者、
昔の事ではなくなりそうでたまりません。

天皇が植物が好きだったから
アッツ島


米軍はアリユーシャン列島ウナラスカ島に多人数を受け入れられる捕虜収容施設を新設して日本軍の捕虜たちの出験に備えていた

そこには食料も医薬品も沢山用意されていた。

ところが日本は「生きて虜囚の辱め受けず」を叩き込まれていましたから。

戦後自殺も出来なかった東条英機陸相の名で示達された戦陣訓

10年後遺体発掘に行ったら北の国だから遺体は徐々にしか腐敗しない。

髪の毛は伸び、、内臓は腐って悪臭が入り自分の子が出なければ良いとさえ思われた…太宰治の弟子三田循司の父 

土にまみれた兵隊の雑ノウの中には黒くはなっているが凍ったカボチャを観た時は

どんなに全部食べてから死にたかったことか。

米軍側も遺骨捜索に全面協力。

ちょうどテレビで「 それでもボクはやってない」からの気になる俳優
加瀬亮永遠の僕たち Restless (2011年、アメリカ) - ヒロシ役を観ました。ヒロシは恋人に手紙も渡せないまま死にました、
主人公の青年が病気の彼女と結ばれた時、
とても辛そうな悲しそうな顔しました。



第一章 敬礼される絵画「アッツ島玉砕」
第一回 会田誠一つの戦争画「裸でごめんなさい
第二回 松本竣介「貴方達は続けて戦争画を描かれたらいい
第三回 ツ島玉砕にム会田誠反戦を感じ
    野見山暁治
第四回 上野の山で『ツ島玉砕』を見た山田風太郎青年
第五回 藤田嗣治陸軍高官ツ島玉砕を御説明上げる
第六回 ツ島玉砕みちの老いたる見物人と出
第七回 戦争画天覧の光栄に浴す
第八回 昭和天皇ツ島玉砕を御覧にたか?
第九回 新藤兼人ツ島玉砕の兵隊の目に恐
第十回 昭和二十年ツ島玉砕の行方
第十一回 「日本を捨てたのではない捨てられたのだと藤田は
第十二回 さならポンバカヤロー藤田
第二章 「アッツ島玉砕」を凝視する
第十三回 「死たばる草森紳一に導かれてツ島玉砕
     再会する
第十四回 ツ島玉砕に描かれ「死者の傍に咲いて居る花
第十五回 鶴田知也の小説『ツ島』が発売延期となる
第十六回 上演されな川口松太郎の芝ツ玉砕
第十七回 少国民ツ島玉砕ビアな細部を見ていた
第十八回 草森紳一草森義経ツ島へ派遣されるはず
第十九回 オパ頭の世界大戦か「河童頭新体制
     ——フジタの戦争
第三章 オカッパを切った藤田嗣治の坊主頭時代
第二十回 一枚「哈爾(ハルハ河畔之戦闘の死屍累々
第二十一回 注文の多い軍人たち注文に応じる坊主頭の藤田画伯
第二十二回 藤田嗣治が装ノモンハン戦車撲滅戦戦記『ノロ
      高地』
第二十三回 五十四歳の藤田嗣治宙返りの戦闘機に乗り込む
第二十四回 井伏鱒二シンガポールで見た兵隊思いの藤田嗣治
第二十五回 「私の右の腕は陛下に捧げたものと藤田は書いた
第二十六回 ツ島玉砕はコレクター平野政吉に贈られる
      はずた?
第四章 英霊の島アッツへ
第二十七回 会田誠「父三島由紀夫が詠んだツ島玉砕の和歌
第二十八回 会田誠「祖父小林秀雄ツ島に現れた
      思想
第二十九回 太宰治ツ島の小説の題「玉砕「散華
      改めた
第三十回 太宰治の弟三田循司の父はツ島墓参で息子の遺体
     を見つけないと
第三十一回 山崎大佐の遺保之はツ島で
      「血が黒なの花を手
第三十二回 阿川弘之昭和四十四年にツ島取材を無鉄砲
      にも敢
第三十三回 キーン少佐は初陣でツ島に上
      日本兵の死体を見た
第三十四回 瀕死の山崎保代大佐はもがきながら銃口をこめかみに
      あてた
第三十五回 ツ島の山崎保代大佐に送られた桜の押花
第五章 花々の島アッツ
第三十六回 東条英機のあわてぶ「半月以内にツの飛行場を
      完成せよ
第三十七回 昭和天皇ツ島の戦況についての御軫念と怒り
第三十八回 ツ島で花を撮ていた陸軍報道班杉山吉良
第三十九回 視界が四分の一にても杉山吉良はツ島の
      花に執
第四十回 チスン女史はツ島滞在三時間で六十九種の植物
     を採
第四十一回 北大の舘脇操は昭和四年に植物採集でツ島を訪れ
      ていた
第四十二回 ヴェールを脱い「平和を愛する科学者天皇
第四十三回 キスカ島の植物標本を献た峯木十一郎司令官
第四十四回 天皇の島ー島への慰霊
第六章 戦争画が還ってくる日
第四十五回 高倉健が山崎大佐を演じていたならば
第四十六回 火野葦平が感た万年一等兵の戦場写真
第四十七回 岡本太郎の怒り爆発——フジタへの憤りと軽蔑
第四十八回 ゲルニカピカソへ宛てた藤田嗣治の手紙
あとがき




《鉛の兵隊(銃後の少女)》1939年
戦時体制下らしい作品だなって見ていたけど、
解説を聞いて目からウロコだったのは、
「日本軍の攻撃に国旗を捨てて敗走する中国軍」って
いかにも軍部が喜びそうな絵だけど、遊ぶ少女は
「青い目の人形」を今でも大事に可愛がっていること、
軍国少女なら、この場面でにっこり笑うハズなのに、
退屈そうな表情をしていること。メキシコで自主性を尊重する
教育を受けて帰国した民次の娘は「滅私奉公」の日本の教育に
戸惑っていただろう。民次の反戦思想が隠されているのだと。




勿論水木作品は最初に敗走記が載っています。







追記
日本軍の損害は戦死2,638名、捕虜は27名で生存率は1パーセントに過ぎなかった。アメリカ軍損害は戦死約600名、負傷約1,200名であった。

藤田嗣治 - 日本軍の要請により、戦争画アッツ島玉砕』を描いた。絵の前には賽銭箱が設えられ、賽銭が入るたび藤田は畏まり頭を下げたという[3]

最近テレビで西洋では歴史的な大作の戦争画があるのでフジタもそれを目指したのではないかと…

戦争中戦争画は全国を巡回、なかなか実物を観ることの出来ない油絵等を観ることが出来て喜んだりもしたと。

アメリカが贈ってくれた青い眼の人形(日本からもお返しの日本の人形が贈られた)は敵の人形だと言われ燃やされたりしたが勇気ある人たちが隠した話も聞いてます。