<span itemprop="headline">ヒーヴァー城その2</span>
UPしたら画像が消滅、これで二度目です、トホホ
ヒーヴァー城その2
アンを口説こうとヘンリーはロンドンからここへ通ったのです。
ロンドンの南東35キロ、列車で1時間 無人駅らしいです。
パンフには徒歩で行けるとあるけれど
駅からは歩いて行くには遠すぎて、困った記事がネットにはあります。
イギリスの庭園はこんなことが多いのです。
バラ園から観た広場の作りものの鹿。弓を射るゲームが出来ます。
ヘンリーが少人数の部下を引き連れ、ひずめを鳴らし馬車をきしませて通った城です。
元兄嫁である王妃との離婚調停中なので人目をはばかる疾走。
城へ入ると堀の跳ね橋(前のページにあります←)は引き上げられ、衛兵たちのたいまつに囲まれて陸の孤島と化した城で愛の交歓が繰り返された。
この求愛から悲劇の処刑まで三年、それで「1000日のアン」とも呼ばれ映画のタイトルにもなった。
赤川裕「イギリス庭園散策」より
いくらアンが気に入らなくなったといっても
男子を産まないからと不義の罪まで着せて斬首とは!
のちのエリザベス1世の母です。
権力者は残酷すぎます。
↑のサイトにホテルの部屋の画像があります。6室しかないそうです。
新しく綺麗なようです。無理して泊まれば良かったかな、
でも朝一番に行った訪問地で、ここでランチしてそれからチャーチルの庭園に行きました。
実際は高速脇の安いホテルに宿泊。
でもバスタブついていて孔雀まで歩いてました。
ガーデンは確か10時半オープン、城の中はその一時間後にしかあかないので先にイタリアンガーデンの方に進みます。
アンの時代にはなかったと言う豪華なガーデンです。
アンは不美人で当時珍しくない指の奇形があった、野心家だった、
姉妹のメアリーは綺麗で結婚していたのに従順にヘンリーの愛人になり男子を産んだと言う噂もあります。
その記事はこちら
ホスタ? これも日本の植物?
今日昼前のローカル番組に名古屋園芸の若旦那が出ていて家康の園芸好き等を紹介してました。
江戸時代、日本は空前の園芸ブーム、平和が続かないと無理なことです。
太平洋戦争中、日本のミスターローズ鈴木氏は薔薇を守るのに苦労されました。
軍歌を歌わなかった兼子は戦争中禁断の花作りをして兵隊たちを喜ばせた。
花なんか作ってはいけない、野菜など作らなければならない時代でした。
花なんか作ってはいけない、野菜など作らなければならない時代でした。
「戦争中一番良いことしたのは花作り、人を喜ばせたから。」と兼子。
日本のバラの父鈴木省三氏も戦争中のバラ作りには苦労されました。
先日、図書館で小池静子著「柳宗悦を支えて 声楽と民芸の母 柳兼子の生涯」 を見つけました。作者は兼子のお弟子さん。
このガーデンは真ん中に芝生の広場やバラ園があり両側の道も見どころ一杯でした。
ここは本当にゴージャスなバラ園でした。
私も英国庭園が手本にし、また英国貴族の坊ちゃんたちが勉学の仕上げとしてイタリア・フランスへグランドツアーを行い
土産に絵や彫刻を買ってきたという面白い本読み、
イタリアの庭園も廻りました。
リストが住んでいた500もの噴水がある庭園等
ロンドン市内の公園にもイタリアンガーデンあります。
アダム・スミス等もそういうお坊ちゃんの家庭教師で
グランドツアーの御供をしたそうです。
そして福島の母子はイタリアにいらしゃいと呼びかけてました。