riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">これわかりやすい…神社のこと</span>

これわかりやすい…神社のこと

ぼくね、「神道」と「国家神道」の違いってもんがよくわかってなかったんですけど

この説明…というか、解説を読むと、よくわかりますわ…

(ひとさまのtweetから…↓)
これわかりやすい。門屋温「5分でわかる近代神道」(FB)http://on.fb.me/1ThBqGY神道国家神道の違い」についての理解が、陥穽を避ける上で必要になる時代が(また)来るとは思わなかった。我々が同じ陥穽に落ちれば「75年前の前例」から何も学ばなかったことになる。

ここはリンク先を見て頂くのが一番だと思いますが、ぼくも備忘録として

リンク先の解説を拝借してざっくりまとめてみたいと思います
明治以降の神道(=国家神道)が、それ以前の神道とどこが違うのか。

江戸時代までは「神仏習合」だった…けど、それが明治になって否定され、「神仏分離」政策によって「廃仏毀釈」が行われて、各地で様々な破壊行為が行われた…というのは、高校の歴史で習ったような記憶があるけど、その後、明治政府の宗教政策によって、全国の神社がどのように作り替えられたのか…

(1)神社改め(→神社の性格や名称を変えた)
 各神社の由来を提出させて、〇〇菩薩や△△権現等仏教色の強い祭神名は変更させ、名前や由来のはっきりしない祭神は「記紀神話」に登場する「由緒正しい」神名に統一し、神社の名前も変えさせました。「八坂神社」のように「地名+神社」になっている神社の多くはこの時につけられた名前…です。※

(2)社格の制定(→勝手に神社を格付けした)
 全国の神社に官幣社・国弊社・諸社(県社・郷社・村社など)のランクをつけて、伊勢神宮を頂点とするピラミッド状に組織した。(元来神社というものはそれぞれが独立した個人商店のようなもので、そもそも関係がありませんでした。)

(3)神職の官制化(→これまた勝手に、神職を「国家公務員化した」)
 神社の神職はほとんどの場合世襲だった…のに、それは「国家の宗教を私物化するものだ」ということで世襲を禁止。(世襲の禁止によって何百年もの間社家によって受け継がれてきた祭礼の伝統などが断ち切られました。)

(4)祭式の統一(→もともとの神道のいろんな伝統を勝手に統一した)
 神職世襲禁止によって代々受け継がれてきた祭式が途切れたため、だれでも神事が行えるように行事作法のやり方の統一マニュアルが作成され、「研修を受ければあなたも神主」ということになる。(→これって、神社のファストフードチェーン化ね)
今はどこの神社に行っても「二礼二拍手一礼」と書いてありますが、拍手の回数ひとつをとっても、以前は神社によってまちまちでした。

(5)神社の規格統一(→これは神社の「フランチャイズ店舗化」みたいなもんです)
 「上地令」によって境内以外の社有地を没収し、社格によって社殿や境内の規模や配置を定めた「制限図」を公布して、神社の建物の規格の統一化を図る。(なので明治以降に建て直された神社は、鳥居から手水舍、拝殿、本殿、賽銭箱の位置までだいたい同じである一方、江戸時代以前に建てられた古い神社の中にはユニークな建物や配置のものがまだ残っている。)

(6)氏子制度の制定(→無理やり神社と住民をくっつけた)
 「一村一社制」を敷いて神社のない地域をなくし、かならず村の鎮守を置くようにした。その上で、江戸時代の「寺請制度」を神社に置き換えて、神社に戸籍管理等行政事務の一端を担わせようとした。(ただし、これは、村役場が機能するようになって不用となった)

以上、要するに明治以降に神社はそのハードもソフトも大きく変えられて、国家が利用しやすいように作り替えられた…ということです。それを神道は二千年の長きにわたって続いてきた宗教」と言うので、昔から今のような形で存在し続けてきたかのような錯覚に陷ってしまいますが、これは単なる「ウソ」です

…と、ほとんど丸ごとリンク先の記事を拝借しましたけど、解説だけだとイマイチ記憶に残らないので

解説で出てきた京都の「八坂神社」を具体例として振り返ってみることにします


解説に出てきますけど、「八坂神社」のように「地名+神社」の名称になってる神社の多くは

明治以降に「名前が付け替えられた」ということでありますが、八坂神社もやはり…
元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、慶応4年=明治元年(1868年)の神仏分離令により「八坂神社」と改められた(ウィキ:「八坂神社」より)
明治以降にこの名称に付け替えられておりました

(なぁ~んだ、八坂神社って八坂神社じゃなかったのね…)


では、八坂神社の祭神に関してはどうだったのか…と言うと、これもやはり…
元の祭神であった牛頭天王(ごずてんのう)…は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、名は新羅の牛頭山に由来する…
けど…
現在の祭神は以下の通り。…主祭神…(は)素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
…ということで、祭神まで変えられてもうたやん…ということです

この点、ウィキには、
牛頭天王は起源不詳の習合神祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていた
…との解説がありますが、八坂神社が
社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる
ことからすると、元の祭神であった「牛頭天王(ごずてんのう)」に

「後から」日本の神様である「素戔嗚尊 (すさのおのみこと)」が

くっついた(…というかくっつけた)ものでありましょう

(その時期は、明治以降…ではなくて、それより前…だったかも知れません)


とはいえ、もともと違う神様…だったものがくっついた…としても

なぜに「祭神」の名前を「牛頭天王(ごずてんのう)」から、

わざわざ「素戔嗚尊 (すさのおのみこと)」に変えたのか…と言うのは、

なんか引っかかるもんがありまして、こういう「渡来の神様を日本の神様に塗り替える」振る舞いには

「それなりの理由」があることでしょう…


転載元: mimiの日々是好日