<span itemprop="headline">カゼルタ王宮その2と残念なこと</span>
カゼルタ王宮その2
汚れた窓から観た前庭、そっけない庭、庭にまで手が回らないのでしょうか。もったいない。
歩く人の姿が見えます。
ベネチアンシャンデリアも汚れています。
バラの花籠を持つ王女?
壁紙と椅子のファブリックがお揃いで綺麗です。
ヨーロッパでも蒔絵、人気ありましたね。
豪華な図書室
貴重なボタニカルアート
クリスマスの大きなジオラマも一杯あります。
パスタ作り食べる人たちも。
宮殿内部の説明に一時間以上、
遥かかなたに大滝が見えます。
欧米系の人たちが徒歩、馬車、自転車で滝に向かいます。
私も途中まで行きましたが時間切れ、泣く泣く戻りましt。
英語のガーデンはかこまれた楽園の意味。エデンの園の再現。
又私の見た聖母子の絵は囲まれた庭にいます。
この番組では世界の名園、たとえば砂漠の蜃気楼を再現した
イタリア一美しい噴水公園ティボリのエステ荘
インドのタージマハル
メインは
ガイドブックにも載っていませんから初めて知りました。
検索すると宮殿見学記はあるのですが時間がなくて庭まで回れなかったという記事ばかりです。
400億円かけて作られた宮殿と40キロ先の水源から水を引いた庭
スターウォーズやミッションインポッシブルのロケなどに使われています。
トム・クルーズはスケールが大きいねといい
ゲーテは宮殿は広すぎて居心地が悪いが実に綺麗だという感想を残しています。
王はローマ教皇に10倍の給料を払い建築家ルイジ=ヴァンヴィテッリを起用しました。40キロ先から水を引くために。
一ケ所だけある谷間にはヴァンヴィテッリの水道橋を築きました。
水のない場所に満々と水をたたえたところを作る、これは絶大な王の力を示すことになります。
ベルサイユを越える庭を!ベルサイユは10キロ先からセーヌから水を引いたのですがこちらは40キロ!
しかもルイ4世と大きく違うことは農業や産業にこの水を役立てたのです。
この番組、とても勉強になりました。
この地方は乾燥地帯で農業が盛んではなかったのですが、この水を引いたためリンゴ、イチジク、唐辛子、トマトなどが実りました。
またイタリア料理に欠かせない水牛のミルクから作られる
モッツラレラチーズの産地になりました。
疫病に弱い牛にかわりたっぷりと草を食べた水牛のミルクから。
イタリア庭園でよく見かけたグラン・カスカーダ〔大滝〕
でもここは規模が大きく、しかもたくさんのギリシャ神話にちなんだ彫刻で飾られています。
春日井や 愛知県緑化センター昭和の森]にもありますが、
彫刻までは真似が出来ません。
女神ダイアナが水浴びしていたところを見てしまった狩人が鹿にかえられてしまった!
ヴァンヴィテッリは舞台演出家でもありましたから。
依頼主を喜ばせる舞台のような風の滝〔二つの顔を持つ滝〕
二つの顔を持つ滝とは裏から見る滝、宮殿が見えます。
日本の滝では自然に裏見の滝がありますがここは人工の庭です。
水のない場所に満々と水をたたえたところを作る、絶大な王の力を示すこと。ベルサイユを越える庭を!ベルサイユは10キロ先のセーヌから水を引きましたがここでは40キロ先から水を引いたのです。
ローマ教皇の10倍の給料を払い建築ルイジ=ヴァンヴィテッリを起用しました。
一ケ所だけある谷間にヴァンヴィテッリの水道橋を築いたのです。
水道橋は次回です。
{{{宮殿の建設は、1752年にナポリ王カルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)の命令で、お抱え建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ指揮の下に始められた。カルロ7世はヴァンヴィテッリの作った宮殿の模型を見て『胸から心臓を引き裂かれるような』深い感動を覚えたという。結局、カルロ7世は宮殿で寝泊まりすることのないまま1759年にスペイン王位に就き、建設が終わったのは三男フェルディナンド4世(のちの両シチリア王フェルディナンド1世)の代になってからだった。
ヴァンヴィテッリが政治的にも社会的にも宮殿の理想としたのは、ヴェルサイユ宮殿だったが、多様性と性質に注目すべき違いがあった。格調高い付属した自然のバロック風の眺めに面して、小さな都市の社会的建築物を伴うどっしりとした建物の中に宮廷と官公庁を入れ、王のために供給される物と集められる物との似たような問題を解いたのである。}}}wiki
カルロ7世は兄の死に伴いスペイン王となり息子がナポリ王に即位。
フランス革命やアメリカ独立宣言の時代です。
フェルディナンドはヴァンヴィテッリ・カルロと{{{イギリス式風景庭園}}}を造りました。
フェルディナンドとカルロは父親同士が庭作りで親しかったので子供たちも協力して新たな庭、イギリス風景庭園を作りました。
この庭にはヨーロッパで初めて栽培された日本のオオシマツバキが大きくなっています。
1782年二植えられました。オランダ経由した種から。
王はツバキの花を各王国に送りヨーロッパ中にツバキの美しさを広めました。これがオペラつばき姫に繋がります。
またモロッコ、ニュージーランド、中米、などからハンターした植物を広げました。私はやっぱりハーストこっうぉるずのような庭がすきなのです。
世界中の植物を集め広げました。エデンの園の再現を目指しました。
品種改良して種を増やす、ツバキは1856年には146種まで増やしている技術力
また二つの滝のオマージュとして{{{廃墟の洞窟}}}を作りました。
[http://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%83%81%E3%83%A7 サンレウチョ]デジタル大辞典より
{{{イタリア南部、カンパニア州の都市カゼルタにある町。18世紀にブルボン王朝のカルロ3世が狩猟場とし、息子フェルディナンドとともに絹工場を建設。続いて労働者のための住居が建てられた。18世紀末から19世紀初頭にかけてのヨーロッパにおける先進的な産業都市の一例として知られ、カゼルタ宮殿やバンビテッリの水道橋とともに、1997年、「カゼルタの18世紀の王宮と公園、バンビテッリの水道橋とサンレウチョ邸宅群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。}}}
{{{イタリア南部、カンパニア州の都市カゼルタにある町。18世紀にブルボン王朝のカルロ3世が狩猟場とし、息子フェルディナンドとともに絹工場を建設。続いて労働者のための住居が建てられた。18世紀末から19世紀初頭にかけてのヨーロッパにおける先進的な産業都市の一例として知られ、カゼルタ宮殿やバンビテッリの水道橋とともに、1997年、「カゼルタの18世紀の王宮と公園、バンビテッリの水道橋とサンレウチョ邸宅群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。}}}
豊富な水で水車を回し良質の絹を作りました。
国民が自立して稼げる国を目指したが10年後にナポレオンが攻め込んだので国の規模には実現できなかったが。
ホワイトハウス、バッキングガム宮殿、アルゼンチン大統領官邸の内装、カーテンに使われブラピからも注文受けたといいます。
私が個人的に好きなのはコッツウォルズの個人の庭や
シシングハーストガーデンのようなホワイトガーデン、そこも囲まれた庭です。