riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">悪魔の決断&#128128;トルーマンの罪&#128128;日本人&#128053;を飼う戦勝国アメリカ</span>



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        以上引用終わり(ありがとうございます





1945年4月、フランクリンルーズベルトの急死によって
副大統領から大統領に昇格したトルーマン
4ヵ月後にかれは悪魔の決断を下した。
アメリカは原爆を落とす必要があったのか。



鶴見俊輔氏の調べでは、No!」

大統領直属の統合参謀本部長リーハイ元帥は、
日本の疲弊しきった兵器生産力や
無能に近い兵力を知っていたがゆえに、
原爆不要の判断を示した

にもかかわらず

  トルーマンは落とした。

しかも一回のみならず

二回までも。


不必要な大量殺戮爆弾を、
化学の実験でもするかのように落とせと命令した。

優れた大統領であるなら、

後世の歴史が
 この判断をどう評価するかは
     わかっていたはずである。

わかっていてあえてやったのか、
そうだとすれば、かれは後世から
「人類の敵」といわれても
   しかたがないのではないか。

戦争中のアメリカは、日本を
この世界から抹殺しようと考えていた。本気で。

ところが歴史は悪戯が好きである。
マッカーサーの日本駐留と
時を合わせるように東アジアの情勢が変わった。

ソ連や中国による共産主義勢力の台頭によって、
朝鮮半島に赤化の危機が迫っていた。

その脅威を実感するや日本の存在価値は、
共産主義勢力に対する極東の橋頭堡としてよみがえった。

皮肉なことにそのポジションを獲得したがゆえに
日本は驚異的な復興への道を歩き始め、
日米安保条約へとつながっていくのだが、それは今日の話と関係がない。

当時のアメリカは知っていた。
日本のリーダーたちが降伏の準備をしていたことを。

しかしトルーマン原爆を落とすチャンスを待っていた。
「日本の戦争終結への取り組みは遅々としている。」
「それを待っていたのでは100万人という
アメリカの健康な男子が命を奪われる」
などという都合のいい情報操作やリークをしながら、
国民のコンセンサス(同意)や国際世論が固まるのを待った。

日本が、終結への真摯な裏交渉の結末を
固唾を呑んで見守っていたのにもかかわらず。

そして運命の日はやって来た・・・。


原爆投下後の米英の論調は、自国に罪がないことを繰り返した。
「落とさなければ、さらに日本は抵抗し、
もっと多くの罪のない人間が死んでいった」と。

そこには強国のエゴイズムが充満している。

現代に至るまで
その独りよがりな強国主義は続いているが、
その強さが崩壊したとき、
世界から強烈なしっぺ返しを食らうことは明らかだ。

 引用終わり


 


追加👆より👇

以下は「モスクワ教育出版社」による
ロシアの中学校教科書に掲載されている内容である。

「8月6日と9日に、アメリカ軍の航空隊は日本の都市、広島と長崎に原子爆弾を投下した。これは人類史上初の大量殺戮兵器の使用だった。

アメリカでは、これは日本上陸とそれに引き続く戦闘によって
もたらされるであろう多大な損害を
回避するためにやむをえなかったのだ、
という正当化がなされている。

しかし実際のところは、
原子爆弾は平和的な市民に対して
多大な物質的、人的損害をもたらすものであって、
軍事的になんらの必然性をもたないものだった。

その後の核開発競争の
発端ともなったこの非人道的な行為は、
アメリカの戦略的優位を誇示するものだった。

原子爆弾の一時的な独占状態を手にして、
アメリカは戦後世界における
ヘゲモニーを確立しようと狙ったのである。」

引用追加終わり(ありがとうございます)



ご判断はご自分で!💀しどすぎる👿

原爆投下を決定した悪魔たち

Published on Feb 19, 2011

👆より引用👇

1945年5月、国連憲章を作成するために、
「宇宙の主」と自称する人々が、
サンフラ­­­ンシスコ市パレスホテルに集合した。

さらに、その主役の幾人かは、
専用のガーデン­・­ル­ームに集まり、秘密の会合を持った。

この会合を呼びかけたのは、
合衆国代表団長ステティニアス。

会合に呼ばれたのは、合衆­­­国大統領及びソヴェトKGBの代理人首席補佐官アルジャー・ヒス、ウォール・スト­リ­ー­トの法律事務所サリバン・アンド・クロムウェルのジョン・フォスター・ダレス­(彼­の師­匠ウィリアム・ネルソン・クロムウェルは議会で活動する「職業革命家」と­呼ばれ­ていた­)、特命全権大使としてモスクワにおいて2年間スターリンの戦争を指­揮してい­たW・ア­ヴェリル・ハリマンであった。

これら4名は、アメリカの外交に関して巨大な権力を持つ人々であったが、憲法によって­­­正当な権威を持つ者は、国務長官エドワード・ステティニアス・ジュニアだけであっ­た­。

ステティニアスが会合を召集したのは、緊急の問題について話し合うためであった。

日本がすでに私的に講和に向けて動き始めていたが、これは米国にとって大きな問題であ­­­った。というのも、原爆の完成にはまだ数ヶ月が必要だったからだ。

ステティニアス:「我々は、すでにドイツを失った。もし日本が降伏してしまうと、原爆­­­を試すための生ける実験台を失うことになる。」

アルジャー・ヒス:「しかし、国務長官。この兵器の恐るべき威力を認めない者は誰一人­­­いないでしょう。」

ステティニアス:「たしかに。だが、我々の戦後の計画全体は、原爆によって世界を恐怖­­­に陥れることができるかどうかにかかっている。」

ジョン・フォスター・ダレス:「この目的を達成するには、数字が必要だ。私は百万人(­­­の犠牲者)が適当だと考える。」

ステティニアス:「そのとおり。我々は、百万人を希望する。しかし、もし彼らが降伏し­­­てしまうと、すべては台無しになる。」

ジョン・フォスター・ダレス:「だから、どうしても原爆が完成するまで戦争を引き伸ば­­­さなければならない。」

ステティニアス:「心配はない。無条件降伏。日本人は受け入れないだろう。彼らは、天­­­皇を守るために誓いを立てているから。」

ジョン・フォスター・ダレス:「まさにそのとおり。あと3ヶ月間日本に戦争を継続させ­­­るべきだ。そうすれば、諸都市に対して原爆を使用できる。我々は、この戦争を、世­界­の­すべての人々をむき出しの恐怖にさらした状態で終結させなければならない。そ­うす­れば­、彼らは、我々の意思に従うようになるだろう。」

国連憲章の作成のために集まった人々が、原爆投下のために日本に無条件降伏を突きつけ­­­、戦争の引き伸ばしを図った。

トルーマンに原爆投下にゴー・サインを出させたバーナード・バルークは、戦後、国連原­­­子力委員会の米国代表に任命され、核兵器廃絶のために活動する。核兵器の国際管理­、­査­察、違反への罰則の制定を推進した。

自分で危機を作り出し、国連を通じて解決を模索する。

すべて筋書きどおりの茶番劇だ。

THE SECRET HISTORY OF THE ATOMIC BOMB
WHY HIROSHIMA WAS DESTROYED

http://www.whale.to/b/mullins8.html


転載元: 模型飛機