<span itemprop="headline">日本会議の正体</span>
ベストセラーはほとんど読まないのですが「日本会議の正体」と
「日本はなぜ戦争ができる国になったのか」の二冊は違います。
大事なことがわかりやすく書いてあるのであっと言う間に読めます。
イギリス エコノミスト誌 2015年6月6日
(これは間違っています)
奇妙なことに、この団体は日本のメディアの注目をほとんど集めていない。政権の中核でますます絵影響力を強めているにもかかわらず
日本会議の核心は宗教団体「生長の家」
に出自をもつ生学連(生長の家学生会全国総連合)の元活動家たちです。彼らは運動の実務や理論構築などを担っていますが、しかし決して大きな動員力や資金力を持っているわけではない。その部分を支えている最大の組織が神社本庁を筆頭とする神社界であり、他の右派系の新興宗教団体(神道系、仏教系、キリスト教系など)が下支えしている。
に出自をもつ生学連(生長の家学生会全国総連合)の元活動家たちです。彼らは運動の実務や理論構築などを担っていますが、しかし決して大きな動員力や資金力を持っているわけではない。その部分を支えている最大の組織が神社本庁を筆頭とする神社界であり、他の右派系の新興宗教団体(神道系、仏教系、キリスト教系など)が下支えしている。
選択制夫婦別姓でさえ反対!
戦前を志向する“統一戦線”
存在感が急速に増した理由
山崎 彼らは、日本国憲法の「国民主権・平和主義・人権の尊重」は18世紀の西欧啓蒙(けいもう)思想だから日本の国体に合わないとも言っています。同じ趣旨の文言が戦前の『国体の本義』にもある。彼らの頭の中の時計は戦中で止まっている。だから彼らにとっては回帰でなく、継承という意識かもしれない。戦前戦中の国家神道は世界観として非常に精巧に作り込まれているので、45年8月の破滅さえ見なければ、その中で万事が整然と完結するような幻想が出来上がる。
青木 日本会議の運動を担う人々のモチベーションが宗教心であるところも気にかかります。もちろん、どんな信仰を持とうと自由だけれど、宗教とナショナリズムが結びつく危険性に加え、宗教心が背後にあるがゆえに近代合理主義や近代民主主義の原則、いわば人類がたどりついた普遍の大原則を平気で踏みにじってしまう。
存在感が急速に増した理由
山崎 35年の天皇機関説事件の後、天皇は憲法から切り離され、糸が切れた凧(たこ)のように高みに上がった。30年代の経済不況、31年の満州事変、33年の国際連盟脱退。一等国としての自信を失いかけた国民は、天皇に拠(よ)りどころを求めた。万世一系の天皇を戴(いただ)く日本は世界で類を見ないほど素晴らしい、と。3・11以降の日本もそれに似ている。かつてはアジアでナンバー1の地位だという共通認識があったが、中国の経済的発展や原発事故などを受けて自信喪失と焦燥感にもがいている。そこに日本会議が現れると、魅力を感じる人もいるでしょう。
青木 社会が停滞期に入ったり不安定になったりすると、宗教やナショナリズムに人は惹(ひ)きつけられがちになります。
宗教学者の島薗進に教えてもらったんですが、久野収(哲学者)が戦前の体制をこう評している。エリート層は「密教」として近代立憲君主国をつくろうとし、民衆向けの「顕教」として、天皇という神のもとに一つにまとまるのだと説いた。つまり二重構造をつくった。ところが狂信的な右派軍部と民衆が結びつき、密教の部分が駆動しなくなってしまった。天皇機関説事件や国体明徴運動はまさにそうだったでしょう。
現在はどうかといえば、それでもまだ日本会議的な主張に違和感を覚えているのが多数派だと思います。だけどここにきて決定的に違うのは安倍政権の存在です。事務総長の椛島は、安倍政権の誕生によって日本会議が「阻止・反対の運動をする段階」から「価値・方向性を提案する段階」に変化したとまで断言しています。少し前までなら「ずいぶん変わった考えの連中だね」と一蹴されていたような運動が、同じ方向性をもつ政権を戴いて存在感を急速に増している。
山崎 安倍晋三は第2次森喜朗内閣で官房副長官を務めるなど、政治的な立ち位置としては戦後右派の系譜に属する人ではある。それゆえ日本会議は安倍に期待を寄せた。第1次安倍政権が終わって安倍が下野している間、日本会議は安倍応援団のグループをつくり、第2次安倍政権の実現に尽力した。むしろ安倍は日本会議に白羽の矢を立てられた面がある。
青木 神戸製鋼時代の上司に取材した際、安倍を振り返ってこう言ったんです。「彼と政治談議をしたことなんて一度もない」「まるで子犬みたいだった。子犬が狼(おおかみ)の群れにまぎれているうち、ああなってしまったのではないか」と。たしかに衛藤晟一や伊藤哲夫といった面々が早くから安倍に目をつけ、いまや政権のブレーン的な役割を担っている。そうした観点からみれば、外国メディアが報じたような「日本会議が安倍政権を牛耳っている」「安倍内閣は日本会議内閣だ」といった分析もあながち間違いではない。
一方、宗教とナショナリズムにすがる風潮は世界中に蔓延(まんえん)しています。アメリカのティー・パーティーやキリスト教原理主義の動き、ヨーロッパの極右による移民排斥。イスラム圏でもそうです。共通しているのは排他、不寛容の風潮であり、行き過ぎれば全体主義に結びつく。しかも日本には国家神道が国を破滅に導いた前歴がある。それを省みず、日本会議のような右派組織が勢いを持っているのはきわめて不健全です。日本会議の正体とは、現下日本社会が孕(はら)んでいるさまざまな病の噴出だともいえるでしょう。
山崎 僕はそれを「大日本病」という言葉で批判しました。宗教とナショナリズムは単独でも基本的に批判を許さないものですから、それが合体するとある種の無敵さが出てきます。
青木 先ほど戦前的なものの「継承」と言われたけれども、現実には国家神道は戦後、神道指令などによって命脈を断たれた。つまり、戦前と戦後の間には明らかな分断がある。しかし、それをつなぐ役割を生長の家が果たした面もある。そうして息を吹き返した戦後右派の運動について、アメリカの天皇制研究者ケネス・ルオフは、元号法制化と建国記念日の創設が最初の「成功体験」だったと指摘しています。いずれも日本会議が創立される前段の出来事ですが、ここで右派運動が学んだことは大きかった。以降、同じような運動手段でさまざまな活動をつづけ、女系天皇や選択的夫婦別姓の阻止、外国人地方参政権の阻止、そして第1次安倍政権では教育基本法の改正などを成し遂げる力の一つにもなってきました。
民主主義に合致する「愛国心」とは?
山崎 靖国神社に代わる追悼施設案も阻止しましたよね。天皇の在り方という問題について、戦前の大日本帝国憲法と戦後の日本国憲法では、戦後のほうが日本の伝統に沿うものだと、今上天皇ははっきり言われている(*)。安倍政権が、現行憲法は日本の伝統に合わないと主張するのは、天皇のお言葉を足蹴(あしげ)にすることです。戦中にも軍人が天皇に正確な情報を伝えないことがあった。軍部に天皇を内心、馬鹿にする一面があった証拠です。
安倍政権が国民の自由と権利を制限する根源には、日本会議的な国体思想がある。神社本庁の出版物を見ると、彼らにとって日本国憲法は、神道指令の永続化を意図する策謀であり、戦前の体制に戻せなくする封印なんです。自民党の憲法改正草案はその封印を一つ一つ消していくかたちになっている。
青木 彼らは戦後体制そのものに憎悪と嫌悪を抱いている。その象徴であり、究極的なターゲットが現行憲法なのは間違いない。だからこれまで培ってきた運動の手段と組織の総力を挙げて改憲運動に取り組んでいます。「キャラバン隊」と称するオルグ部隊を全国各地に送り、地方議会に決議や意見書を可決させ、大掛かりな署名活動を行う。
一方で中央に「国民の会」のような組織を立ち上げ、著名人を広告塔に据え、宗教団体が動員して大規模な集会を波状的に開き、世論を盛り上げ、政界を突き上げていく。今回は各地の神社でまでも署名を集めています。彼らはこれが改憲の最大チャンスだと捉えている。つまり改憲をめぐるせめぎ合いは、今後の日本社会がどの方向に向かうのかをめぐる巨大な分水嶺(ぶんすいれい)です。押し返せるのか、屈してしまうのか。参院選の結果次第では、国会での発議も可能になります。
山崎 僕があらためて考えたいのは愛国心です。戦後、愛国心は軍国主義につながるものだと否定され、空白になっていた。そこに日本会議がつけ込んでいる。国体ありきの愛国という固定観念を排し、民主主義に合致する愛国心を模索する必要があります。まだ間に合うと思います。
青木 僕はむしろ、戦後の日本に本当の意味での近代民主主義を根づかせるほうが優先だと思います。明治の近代化も、戦後の民主主義も、結局のところ日本はすべて上から与えられた。民衆が自分の力で勝ち取ったものではない。その脆弱(ぜいじやく)さの隙間(すきま)に日本会議のような宗教右派が入り込み、増殖してしまっているのですから。
日本会議とは
■人物略歴
やまざき・まさひろ
1967年生まれ。戦史・紛争史研究家。著書に、『戦前回帰 「大日本病」の再発』『侵略か、解放か!? 世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』(ともに学研マーケティング)ほか多数。
■人物略歴
あおき・おさむ
(サンデー毎日2016年7月17日号から)
青木氏が痛感させられたことは
組織の周辺に漂う秘密主義と批判的な視線や見解に対する極度の警戒感、あるいは敵対意識。
いくら取材を申し入れても応じてくれない。
業を煮やし2016年2月11日の明治神宮会館で開かれた奉祝行事の際に
私もこういう人は信用できません。
それなのに何が「美しい日本の憲法をつくる国民の会」事務局長なのでしょう。
西洋が勝ち取った普遍的な人権思想を憎み戦前に戻したい、
そうすればすべて良くなると思いこむとは。