riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">【必読】 時代のカナリアになろう!!!泥さんの投稿から</span>

【欅坂のナチス その②】

◆手のひらで踊る者は足の向く先を知らない
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 為政者は真の意図を隠して命令することができます。
 命令を下される側は真の意図を知らないので忠実に従います。
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 ナチス指導部はヒトラーの思いつきに従ってユダヤ人絶滅を決めました。
 手始めにユダヤ人登録を命じました。
 死ぬべき者たちを特定するため、すべてのユダヤ人に家族の名前、住所、財産を登録させるのです。
 実務を担ったのはユダヤ人公務員とその下請けであるユダヤ人協会でした。
 彼らは律儀に仕事を遂行しました。
 効率的なやり方を考え、登録漏れを防ぐ方策や、サボタージュを許さない方策を編み出して実行しました。
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 つぎにナチスは全財産の供出を命じました。
 いずれ死ぬ者に財産は必要ないからです。
 命令に従わなければ手ひどい報復が待っているので、ユダヤ人公務員やユダヤ人協会の職員は同胞の身を守るために、漏れのないように財産供出をうながし、または強制しました。
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 つぎにナチス強制収容所への移住を命じました。
 もちろん、効率よく殺すためにです。
 移住を拒否すれば直ちに殺されるので、ユダヤ人公務員やユダヤ人協会の職員は同胞のために移住の手はずを整え、住民を駆り立てて集め、貨車に乗せました。そして自分たちも貨車に乗りました。
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◆孤独な羊は寂しく、群れの中にいれは安心
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 ユダヤ人の協力者たちは最後まで真の意図を知りませんでした。
 いや、おぼろげに感づいて、疑問が芽生えたかもしれませんが、それを口にしてどうなるでしょうか。
 浮いてしまうだけです。
 おかしいと思いながらも、動き始めた巨大な社会の流れに身を任す以外に生きる方法はないのです。
 プロセスに反抗して殺されたユダヤ人は200人程度です。
 のちの悲劇に比べると、恐ろしいほどの無抵抗ぶりです。
 だってもしかしたら考えすぎかもしれないし、そんなことで官憲ににらまれて一生を棒に振ったら、愚か者と言われてしまうでしょう。
 そんなリスクを犯したくありません。
 こうして、最終的な悲劇が粛々と用意されていきました。
  
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 始まりは一人の偏執的人物の思いつきでした。
 ナチス思想は必ずしもユダヤ人をガス室で殺すことに直結しませんが、ナチスを大きくしたい幹部たちは、ヒトラーを必要としていました。
 そこでヒトラーの思いつきを実現するために、最初の一手を打ちました。半信半疑だったかもしれません。
 するとしばらくすると、ナチス思想すなわち個々人は社会の歯車であれという全体主義思想に染め上げられたドイツ社会は、見事に機械的に命令どおりに機能しはじめました。
 自動的に官僚機構が動きました。
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 一人ひとりの役人は全体像を知りませんでした。
 個々人は与えられた役割、すなわちユダヤ人協会に決定事項を伝えたり、進捗状況を確認したり、名簿用紙を配ったり集めたりせかしたり、そんな小さな実務を担っただけです。
 誰もが与えられた役割をたんたんとこなしていただけです。
 なんだか変だぞという疑問や、迫害に対するささやかな罪の意識はあったでしょうが、民族憎悪が帳消しにしました。
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カナリアはほめられることがない
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 私たちは為政者の真の意図を知るすべがありません。
 与えられた仕事がどんな意図でどんな回路で自分の所まで降りてきたのか、そんなことはわかりません。
 たとえばミリタリーコスチュームで売り出そうという企画が与えられれば、カッコいいコスチュームを作って売り出すことに懸命になります。
 その企画がどういう意図で発案されたのか、そんなことは知ったことではありません。
 タレントは言われるがままに企画に沿って最善のパフォーマンスを実現しようと努力します。
 それが自分自身をいつか囲いに追い込む準備だなどとは誰も気づかないし、気づいた時には手遅れです。
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 悲劇を防ぐには、時代のカナリアが必要です。
 誰も気づかないときに警告を発するカナリアです。
 気づいたものが勇気を出して声を上げる。これしかありません。
 思い過ごしかもしれないけれど、そうすることが必要なのです。
 仮に思い過ごしだったら、愚か者といわれて一生を棒に振るかも知れません。
 仮にその気づきが本物で、警告が功を奏して恐ろしい悲劇を未然に防げたとしましょう。
 すると、起こるはずだったけど起こらなかった悲劇を防いだと、誰が分かってくれるでしょうか。
 あんたの警告は杞憂だったねと、すまされてしまうでしょう。
 どっちに転んでも、称賛されることはありません。
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カナリアは鳴いている
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  戦後、もしかすると時代のカナリアたちが、幾度も危機を未然に防いできたのかもしれません。恐らくそうなのだと思います。
 でも人はいうのです。
 「あんたは戦争の危機だと何度も言ったけど、結局なんにもなかったじゃないか。」
 「オオカミ少年かよ」
 人は笑いますが、でも、それでも、そうすることが必要だと思う人がいなければ、悲劇は防げないのです。
 まったく割に合わない話ですが、これが世の中というものです。
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 幸いなことに現代日本では無数のカナリアが声を上げています。
 小さくない声です。
 この声がきっと世の人に届くことを私は信じます。
 とある危機が人々の大きな力で回避された時(それは戦争だけではありません。大小さまざまな問題です)、世の人は、大きな力のはじまりが小さなカナリアの警告だったと気づかないかもしれません。
 誰か偉い人が手柄を独り占めするかもしれません。
 それでもいいじゃないですか。
 その時は、カナリア同士、どこかでささやかに勝利の祝杯を上げたいですね。


転載元: 情報収集中&放電中