riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">京大生ご用達カフェ進々堂</span>



ここは行くとお休みで今回やっと入れました。
友人は良く行って懐かしいといいますが私は覚えていません、トホホ



「京都には進々堂がある」
      ・・・・と言っていただくために。



 私たち進々堂は、大正2年(1913年)京都に創業したベーカリーショップです。創業者-続木斉(つづきひとし)は学生時代、内村鑑三の門下生として聖書と近代思想を学んだクリスチャン、「パン造りを通して神と人とに奉仕する」と言って進々堂を開業いたしました。
 フランス語やフランス文学にも造詣の深かった斉は、本場のフランスパンに憧れ、日本人としてはじめてパリへパン留学したことでも知られています。パリから帰った斉は、ドイツの窯を輸入して日本初のフランスパン製造販売を開始、西欧文化の香りを求める当時の京都の人々から絶大な支持を得て、京都を代表するベーカリーショップとしての基盤を築きました。
 以来90余年、「
お客様の命の糧となる、まじりけのないパンを造りたい。パンのある心豊かな生活を、お客様と分かちあいたい。」…そんな願いに支えられて私たち進々堂は歩んで参りました。これからも、本物に敏感で味に厳しい京都の人々が、「京都には進々堂がある」と言って私たちのことを誇りに思ってくださるようなベーカリーになれるよう、全力を尽くします。
これからも進々堂をよろしくお願いいたします。



店内の黒田辰秋の長テーブルが有名なのですがお客さんが大勢座っていて写せませんでした。
黒田辰秋の「心の師」だった河井寛次郎の自宅兼工房は東山区五条坂鐘鋳町の「河井寛次郎記念館」075・561・3585として公開されている。同館の看板や、状差しなどは黒田の作品だ。(看板の文字は棟方志功)。
 「進々堂」とほぼ同じころ、祇園の老舗菓子店「鍵善良房」も、黒田に飾棚を依頼。現在も店頭で見ることができる。

■黒田辰秋
1904年、京都市の「塗師屋」職人の家に生まれた。父の仕事から漆や木工芸の技術を習得。その作風は拭漆(ふきうるし)の盆のような素朴なものから。螺鈿を施した菓子箱、大型座椅子など幅広く、志賀直哉や小林秀雄、黒澤明が愛用した。70年、人間国宝。82年、急性肺炎のため77歳で死去。
 重厚な存在感を放っているのが、後に木工芸の人間国宝となる黒田辰秋が、若き日に手がけた8組のテーブル群だ。楢材を、木目の美しさを引き出す「拭漆」という手法で仕上げた。長さ役2メートル、幅74センチのテーブルに、同じ長さのイスが寄り添う。
 これらを黒田に依頼したのは、同店の創業者、故・続木斉(つづきひとし)さん。続木さんのひ孫で4代目店主の川口聡さん(52)は「初代がパンづくりを学びに渡仏した際、若者の街カルチェラタンのカフェで、議論を交わし読書をする若者たちの姿に衝撃を受けたそうです。こういう場所を日本にも、と開いたのがこの店です」。






店内の奥は中庭の喫煙席とトイレ







隣がパン屋、京大生の帽子に値札付いてました


暗いのでボケボケです。

コーヒーは濃い、砂糖もミルクも入れないのでここまで濃いと私にはちょっと、
甘いパンと一緒ならいいです。


京大のお洒落な楽友会館と100年時計台記念館