riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">京都国立博物館の龍馬展</span>






10年ぶりのとなる大規模展では、龍馬直筆の手紙を中心に約200点を展示。「池内藏太(龍馬の同郷の後輩)の両親宛のものは、近所のおばさんまでも気遣うなど、龍馬の優しさと望郷の念が良く表れていて、過去を振り返らない前向きなイメージの龍馬とは違う一面が垣間見れる。また、兄への礼状や、姪っ子の悪口を書いた風変わりなものなど、現代の私たちが読んでも超面白い!と思うものがたくさんあり、そういうものにこそ意味があるのでは」と語った担当学芸員の宮川禎一さん(龍馬の手紙をほぼすべて網羅しているそう)。https://www.lmaga.jp/news/2016/06/11680/
2016-10-28 17:22:38



この立派な建物では今は展示しないのでしょうか。
昔ここで上村 松園の絵を観ました。

1897年(明治30年)5月に開館した。
1890年(明治23年)には帝国京都博物館の建設地が東山七条の現在地に定められた。この土地は方広寺(大仏)旧境内にあたり、1890年当時は、東半が民有地、西半は七条御料地(旧恭明宮)であった。恭明宮とは、明治初年の神仏分離後、それまで御所の御黒戸に安置されていた仏像や歴代天皇の位牌を安置していた施設である(1870年設置、1876年廃止)。[1]
博物館の本館は片山東熊の設計になる煉瓦造平屋建て、フレンチルネサンス様式の建物で、1892(明治25年)年6月に建築工事に着工、1895年(明治28年)10月に竣工した。諸準備が整い、博物館が開館したのは1897年(明治30年)5月のことである。設計者の片山は赤坂離宮のほか、奈良国立博物館本館や東京国立博物館表慶館の設計にも携わった、宮廷建築家である[2]。本館は当初3階建てで計画されたが、1891年(明治24年)に発生した濃尾地震でレンガ造2階建ての建物が多く倒壊したことを踏まえ、平屋建てに



2012年行った時は修復中で入れませんでした。


2015年雪の日


ヨーロッパの噴水は冬止められています。



京都タワーが見えます~
龍馬のイメージは最近ダウンしてしまいました。
死の商人? 明治維新も怪しい 初めての新婚旅行も本当でない

昔四国へ自由民権フィールドワークしても龍馬記念館にもはいれなかった。
すぐ近くだったのに出発が早くて。


今回の龍馬展は新発見の彼の刀の展示があるので夫が行きたかったのです。




お兄さんにねだって買ってもらった刀はこれ?
今回の展示は手紙が多かった。
暗殺された時に部屋にあった血痕付きの屏風

龍馬展は東京、長崎、静岡に巡回します。



 


今回は2つの美術展とお寺沢山回ることができて運転手の夫に感謝です。
私が運転してもいいのですが。

特に長い間待っていた積翠園、錦華殿見学出来てうれしいです。

龍馬伝のお土産は長崎かすてらプリンとクルス(コーヒー味の固めのクッキー)