<span itemprop="headline">「周りに合わし自分の意見を言わない」これが日本の国民性という暴論の誤り</span>
日本民族の性向として「周りに合わし自分の意見を言わない」という声は、何人か人が集まり話をすれば必ず出る。そして、「日本人はバカばかり」と続く。自分は賢いと偉くなった気がするのだろうか。
しかし、国民性と言うものは遺伝子で決定図けられる差異ではなく文化や歴史の違いで生まれるものと思う。何が言いたいかと言うと、日本は未だ民主主義革命やそれに近い変革を体験していないという歴史的事実が意見を言わず他人の動向に合わせるようになっているのだろう。
かつて、光州事件等で国民への大弾圧のあった韓国で、民主派のリーダーが「私たちは投獄され虐待されても闘い民主主義を勝ち取った、貴方たち日本人とは全く違う」と語ったのを僕は鮮明に覚えている。
日本でも、僕の命があるうちに、勝ち取ったほんとうの民主主義の時代を味わいたいものです。
以下、2015/3/31(火) 午前 10:24 投稿の記事、
歴史教育の近隣諸国との整合の創造 http://blogs.yahoo.co.jp/akaruria/33911411.html
昔、ベトナムに行ったことがある。 藤本文朗さんの主催する【ベトちゃんドクちゃんに会うツアー】に参加したから~。 二人の住む【TUZU病院】では、ビデオカメラは、1台だけ許可するとの事で、 100人近い参加者のうち、唯一、障がい児教育関係でない私に、カメラの大役がきた。 ベトちゃんは、亡くなる数年前で、寝たきりで動けなかった。 ドクちゃんは、動きまくっていたけど~。 ダイオキシンの障害は重くないのだが、若い女性達の部屋では、あまりに気の毒で撮影を中止した。標本室(ベトナムの表現による)には、ホルマリンずけの生まれてこれなかった赤子が、たくさんいた。 http://cheers.com.au/entertainment/dancingman/892/ 話かわって、その旅行後、早稲田大学で、日本と近隣諸国との、歴史教科書をドイツと他の諸国がそうしているように、侵略の歴史を国で異ならない様にしようという国際会議があり、参加した。 中国、フィリピン、インドネシア等、参加していない国が多かったが、第一回目という事で、未来のアジアの平和のための、遠大な企画であった。 私は、発言を許され、前述のベトナムの旅と自分の活動と主張を述べた。 ベトナムの旅に参加する事になったのは、僕が勤務していた高校で、もう自殺者が出ないように「命を大事にしよう」と訴える文化祭の劇中、ベトちゃんドクちゃんらの映像を使わしてもらったからなのだが~。 従軍慰安婦の会の教授は、問いには答えず、ヒステリックに、日本の罪を告発した。 そして、韓国の教職組合員運動で、投獄、弾圧された、若い男性リーダーが、発言した。韓国は、ベトナムでの罪を、総括すべきで、アジアの協調のためにと発言した。 そして、原爆投下についても、植民地支配から韓国を救った正義の行いではないと。 アジア・太平洋諸国は、連帯のため交流と討論の重要性を訴えた。 タイのNPO活動家は、日本と韓国のビジネスマンによるタイの少女の買春ツアーを、告発した。 会のエンディングで、前述の韓国の若い組合活動家が、弾圧に負けず闘う歌を披露した。とても感動した。 現代日本の、多くの人々の闘いも、感動を覚える。 今、八紘一宇発言、加害の歴史の否定、沖縄への無理やりな基地建設、汚染地区の放置と原発再稼働、どうなる日本??? またぞろ、多くの国に迷惑をかけ、日本国民を苦しめるエゴイスト日本になるのか??? その道の未来は、歴史は、もう、答えをだしている。 |
転載元: acaluliaのブログ