<span itemprop="headline">猫を抱く美少女は誰?今晩もEテレで暮らしと憲法、夜8時から~</span>
ジェームス三木脚本の舞台「真珠の首飾り」を観て彼女を知りました。
1998年初演青年劇場
何と23年間戸籍がなかった34歳の女性が紹介されました。
戸籍がないと予防接種出来ない、学校に行けない、パスポートや保険も無し
34歳の女性は少女の頃、歯が痛くなり歯科に行って健康保険がなくて診てもらえなかったと。
え―、親は?
彼女の母は暴力振るう夫から逃れて他の男性と暮らし、
その女性を産みましたが
離婚できないので、娘には戸籍がない。
離婚するためには夫と連絡取らなければならない。
正式に離婚できないと、娘は暴力夫の子にみなされます。
実の父は他にいても。
日本国憲法の「男女平等」を起草した ベアテ・シロタ・ゴードンさん Q憲法にどんな思いを込めましたか?
2007年5月1日
地位向上願い 権利を女性に
豊田 なぜ憲法草案起草にかかわることになったのですか。
豊田 どんな気持ちで引き受けましたか。
豊田 草案づくりでは、どんなことを重視しましたか。
豊田 そのまま草案になったのですか。
豊田 日本側はGHQの草案をすんなり受け入れたのですか。
ベアテ 日本政府には「これを基本に日本の憲法をつくってください」と草案が渡されていました。一カ月後、日本政府代表者とGHQとの会議があり、私は通訳として呼ばれました。会議は午前十時から始まり、すぐに私たちの草案を議論しているんじゃないことが分かりました。日本側は全く違う憲法案をつくってきたのです。ですから、日本側の案を英訳したり、ケーディスの返事を日本語に訳したり、議論があっちこっちに飛んで進みません。そうしたら、(当時外相だった吉田茂元首相の側近)白洲次郎さんが、書類をテーブルに置いて、どこかに行ってしまいました。それは私たちの草案の日本語訳でした。ケーディスは、この草案をベースにしようと言い、それ以降、議論が少し楽になりました。
豊田 その後、議論は順調に進みましたか。
豊田 ベアテさんの男女平等はどうでしたか。
豊田 九条の戦争放棄規定は問題にならなかったのですか。
◇
このインタビューは二〇〇四年四月二十日、ニューヨーク・マンハッタンのベアテさんの自宅で行われました。
◇
著書に「1945年のクリスマス」(柏書房)など。ニューヨーク在住。この本予約しました。
この本は、ベアテさんが1945年のクリスマス・イヴの日に、日本に帰る風景から始まります。
アメリカ、イギリス、ドイツのワイマール憲法、フランス、ソ連、スカンジナビア諸国の憲法に関する書籍を、焼け残った図書館と大学を回って集め、読める六か国語を駆使して特に参考になるものを見つけ、確固たる信念を持って「憲法」の人権条項の部分の草案を書かれました。
本書を読み進めて行く途中で、何か所も付箋を貼る箇所が出てきました。以下はその一部です。
「とにかく、戦勝国の軍人が、支配する敗戦国の法律を、自分たちに都合よくつくるのだなという傲慢な雰囲気はなかった。自分たちの理想国家をつくる、
といった夢に夢中になっていた舞台だったような気がしている。」(p.177)
軍人と言っても、本職は弁護士、大学教授、ジャーナリスト、医師、実業家などで、医学や理工系から文化系まで幅広く学んだ人が多い。
ラウエル氏は高野岩三郎氏を中心とする憲法研究会
の草案に好意的な説明をつけて報告している。
またベアテさんは、
「軍国主義時代の日本で育った私は、心配だったのだ。日本民族の付和雷同的性格と、自分から決して意見を言いだそうとしない引っ込み思案的な性格、しかも過激なリーダーに魅力を感じる英雄待望的な一面は、昭和...続きを読む ›
アメリカ、イギリス、ドイツのワイマール憲法、フランス、ソ連、スカンジナビア諸国の憲法に関する書籍を、焼け残った図書館と大学を回って集め、読める六か国語を駆使して特に参考になるものを見つけ、確固たる信念を持って「憲法」の人権条項の部分の草案を書かれました。
本書を読み進めて行く途中で、何か所も付箋を貼る箇所が出てきました。以下はその一部です。
「とにかく、戦勝国の軍人が、支配する敗戦国の法律を、自分たちに都合よくつくるのだなという傲慢な雰囲気はなかった。自分たちの理想国家をつくる、
といった夢に夢中になっていた舞台だったような気がしている。」(p.177)
軍人と言っても、本職は弁護士、大学教授、ジャーナリスト、医師、実業家などで、医学や理工系から文化系まで幅広く学んだ人が多い。
ラウエル氏は高野岩三郎氏を中心とする憲法研究会
の草案に好意的な説明をつけて報告している。
またベアテさんは、
「軍国主義時代の日本で育った私は、心配だったのだ。日本民族の付和雷同的性格と、自分から決して意見を言いだそうとしない引っ込み思案的な性格、しかも過激なリーダーに魅力を感じる英雄待望的な一面は、昭和...続きを読む ›
夫婦で歩く時も夫の後につき従う妻、客が来ても給仕するだけで一緒に食べることはない、日本の女性には社会的役割もなく、離婚もできない。夫の浮気は甲斐性とされ、妻が浮気すれば姦通罪、レイプされても堕胎もできない。好きな人と結婚できない、財産相続もできない、何の権利もない日本女性の境遇に心を痛めていたベアテさん
とってもチャーミングな女性です。
「それは日本に会わない」等とことごとく拒否され涙をのみました。
今晩の「外国人」も8時からです。
第一回 女性
第24条・婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し……
法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければなりません。
男女平等がうたわれたこの第24条は、当時、世界でも類を見ない高い理想を掲げた内容でした。この条文の草稿を書いたのが、GHQのスタッフだったベアテ・シロタ・ゴードンさん(当時22歳)。幼少期に10年ほど日本で暮らしたベアテさんは、財産権・選挙権などの「権利」を持たず、結婚も本人の意思だけでは決められない日本女性たちの状況を見聞きしていました。70年前に生まれた憲法の男女平等の理念をもとに戦後女性が獲得した権利と、いまなお抱え続ける生きづらさ。貧困や様々な困難を抱える女性の暮らしから憲法を見つめます。
第24条・婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し……
法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければなりません。
男女平等がうたわれたこの第24条は、当時、世界でも類を見ない高い理想を掲げた内容でした。この条文の草稿を書いたのが、GHQのスタッフだったベアテ・シロタ・ゴードンさん(当時22歳)。幼少期に10年ほど日本で暮らしたベアテさんは、財産権・選挙権などの「権利」を持たず、結婚も本人の意思だけでは決められない日本女性たちの状況を見聞きしていました。70年前に生まれた憲法の男女平等の理念をもとに戦後女性が獲得した権利と、いまなお抱え続ける生きづらさ。貧困や様々な困難を抱える女性の暮らしから憲法を見つめます。