<span itemprop="headline">懐かしい小田実の「何でも見てやろう」</span>
私も子供の頃の愛読者は「なんでも見てやろう」
この本は今でも持っています。
小田実と女性の一人旅を応援していたおそどまさこさんの影響で
海外一人旅が病みつきになりました。
今日も友人に海外出一人で恐くないのと聞かれました。
行く前はちょっとは恐いけれど行ったらそんな暇ないのです。
次々に解決しなければならないことが押し寄せてきます~。
小田さんが今も生きていてくれたら激怒されるでしょう。
<時代を刻む 戦後ベストセラーと今>(2) 「何でも見てやろう」小田実
2017/1/5 夕刊
まだ日本人が自由に海外を旅行できなかった時代。「世界一日一ドル旅行」をうたい、北米、欧州、アフリカ、アジアと二十二カ国を放浪した小田実(まこと)さんの旅行記『何でも見てやろう』(一九六一年)は、数々の若者たちの目を世界に向けさせ、旅へと駆り立てた。
冒頭の文章は、小田さんが欧州で「もっとも感動した」と記したギリシャ・アクロポリスの丘での夕暮れの光景だ。この描写が、当時NHKのディレクターだった作家の小中陽太郎さん(82)の人生を動かした。「太陽がすとんと沈む、その豪快な文章が誘惑の第一歩だった」。東京五輪を控えた六四年春、無理に休暇を取り、欧州に飛んだ。
初任地の名古屋時代にドキュメンタリードラマの台本を依頼するなど、小田さんとは交流があった。旅行前には「安く行くにはこうやるんや」と指南も受けた。「あんまり楽しすぎて休暇の日数を超過した。しかも彼に憧れて旅行記まで出版したから、上司ともめて辞めちゃったんだ」。小中さんはその翌年、小田さんらとともに「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を結成することになる。
沢木耕太郎さんや五木寛之さんらの紀行文、紀行小説の嚆矢(こうし)となったこの一冊。アジア各国で「貧乏旅行」を繰り返してきた旅行作家の下川裕治(ゆうじ)さん(62)にとっても、「こうやって旅をするんだ」と学ぶ原点になった。
主人公がジャズ奏者を目指して世界を巡る『青年は荒野をめざす』など、五木さんの小説で海外に憧れた下川さんにとって、東大を出てフルブライト留学生として旅をした小田さんのイメージは「鼻持ちならない存在」だった。しかし読んでみて、インドの「街路族」に交じって路上で寝泊まりする姿に「ここまでやるか」と衝撃を受けた。
「旺盛な知識欲とスポンジのような吸収力で海外の状況を写し取った文化論であり、政治論でもある。当時はまだ貧しかった日本が西洋から必死に学ぼうとした時代。世界はこうなのかと、この本から日本人はものすごくたくさんのことを吸収したはず」。そう言って下川さんは古本屋で求めたという単行本の巻末を指した。刊行わずか半年で八十九刷を数えている。
今も各国でバックパッカーの旅を続ける下川さんだが、実感していることがある。「旅にはストレスがあり、それを乗り越えていくのが楽しみのはず。でも、最近の若者は『大変でしょ』と言って、そこに魅力を感じない」。昨年十一月にはインドを縦断し、十二月にはチベットを旅したが、結局日本人には一人も会わなかったという。
「でも、欧米人バックパッカーは変わらず多い。欧米社会では目的のない旅の評価が下がっていないのに、日本は道から外れた若者を許容しない社会になりつつある。小田さんだったら『日本はその程度の文化国家だったか』と言って悔しがるんじゃないか」
小中さんは『何でも見てやろう』のテーマが「差別の問題だった」と指摘する。確かに作中の小田さんは、ニューヨークで転がり込んだ家の男性二人がゲイのカップルであると告げられた際、日本からの留学生仲間が「とび上がり、ほうほうのていで逃げ帰って行った」のに対し、悠然と共同生活を続ける。あるいは米南部で、「白人用」と「黒人用」に区別されたバスの待合室の中で「全存在を下からつき上げ、根底からゆり動かした」ほどの衝撃と葛藤を覚える。当時の日本人の感覚からは考えられないほどの偏見のなさ、懐の深さだ。
「小田さんと海外を旅すると、まず理髪店に行く。現地の髪形にして、服を買って着込む。その国の生活の中に溶け込もうとする旅だった」と小中さんは振り返る。「何でも見てやろう、というのは何でも話してやろう、食べてやろう、そしてタブーをなくそう、という本なんだ。六〇年代にビートルズやボブ・ディランがやろうとした、内容は深遠だけど分かりやすい言葉で世界をつなごうという運動とも共通し、後のベ平連の活動を先取りしていた。個人が細分化され、タコつぼ化した今の日本だからこそ、小田さんのような人がいたことを思い出してほしい」
(樋口薫)
(樋口薫)
◆貧乏旅行の体験 軽妙な語り口で
<何でも見てやろう> 作家の故小田実さん(1932~2007年)の代表作。自身の1958年からの米ハーバード大大学院への留学と、その後の世界一周貧乏旅行の体験を軽妙な語り口でつづった。
旅の出来事をただ記しただけでなく、当時の米国の現代芸術を「大きな空洞をもった巨大な肺病患者」と評したり、米国の黒人差別やインドのカースト制度の現実の前で葛藤したり、文化・社会評論としての側面も高く評価された。「まあなんとかなるやろ」の精神であらゆる場所に飛び込んでいくその行動力は、後の「ベ平連」「九条の会」といった市民運動での基本姿勢ともなった。
現在は講談社文庫から刊行されている。
私たちの年代は海外旅行が大好き、今の若い人は旅行、留学も関心なさそう、費用の問題もありますが。
知らない土地、立派な建築、美術品、演劇、劇場、土地の人の優しさ…忘れません。
私も安さ等に負けてツアーを利用しますがなにか一枚かぶっているような気がします。土地の方ともふれあい少ないし…