riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">米軍の母親兵士6万人が戦った史上例なきイラク・アフガン戦争(井上伸)</span>


以下引用

イラクアフガニスタンに、アメリカ軍の総兵力のおよそ11%にあたる19万人もの女性兵士を送り込み、その3分の1(約6万人)は子どもを持つ母親兵士でした。女性兵士の任務は、前線の戦闘ではありませんでしたが、泥沼化したイラクでは後方任務の女性兵士もいや応なしに戦闘に巻き込まれてしまいました。

26歳の女性兵士は、12歳のイラク人少年を撃ち殺したため、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症。イラクから帰還後に結婚し、息子を出産しましたが、症状が悪化。自分の息子の顔がイラク人少年の顔に重なってしまい、育児ができなくなり、いまは入院治療を続けています。面会に訪れた夫と息子にも優しく接することができず、母親失格だと泣き崩れる元女性兵士。

こうした戦場での心の傷が原因で「以前のように子どもを愛することができない」「子どもを愛おしく思う心さえなくした」「母親らしく子どもを抱きしめることも会話もできなくなった」「戦場で人を殺した自分が良い母親になれるのか」と苦悩し、子どもとの関係を取り戻せないでいるケースが他にも数例とりあげられていました。いずれのケースも、イラクに赴く前は、性格は明るくてエネルギッシュで家族思いの女性たちであることが共通していました。国家と家族を守るためと勇んで行った戦場で、「殺される恐怖」と「人を殺す恐怖」により、心が壊れてしまい、帰還後は家族を守るどころか、家族とともに日常生活をおくることさえもかなわなくなってしまったのです。

「多くの母親兵士たちが戦う歴史上例のないアメリカの戦争。それは母親たちから子どもを愛する感情を奪い、家族の絆を断ち切るものであった」と語る番組ナレーションが悲しく響きます。

それでは、常に最前線に置かれる男性兵士たちはどうだったのでしょうか。初めて大量の市民が戦場に動員された第1次世界大戦では、精神に障害を負う兵士が続出。医師たちは電気ショックを与えるなどして戦場に強制的に送り返す「実験」を繰り返しました。第2次世界大戦では「敵に発砲できない兵士」が広範に存在したことが分かりました。同じ人間だと思うと本能的に殺すことができなくなるのが人間であることが判明したため、その人間性を麻痺させ、条件反射的に発砲できる兵士=殺戮マシンを作り出す訓練方法を確実な戦争遂行のためアメリカ軍は開発していったのです。

この人間性を麻痺させ、人間を殺戮マシンにする訓練の成果によって、ベトナム戦争では、ほぼ100%発砲することを躊躇する兵士はいなくなりました。しかし、戦場で条件反射的に殺戮することが可能になっても人間を100%捨て去ることはできないのです。そのため、ベトナム帰還兵の2人に1人が、日常生活に復帰できないPTSD患者となってしまいました。命令により躊躇なく発砲するアメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人504人を虐殺したソンミ事件。番組では、当時19歳だった兵士のインタビュービデオが流れました。赤ん坊を抱いた女性も小さな子どもに寄り添っていた女性も、子どもと共にそのときは平気で撃ち殺したというその兵士は、ベトナムから帰還後、PTSDを発症し何度も自殺をはかり、そのインタビュー後にショットガンで自殺してしまったのです。

こうしたことに手を焼いたアメリカ軍は、殺戮の実感を持たなくていいように“戦争のハイテク化”を進めます。遠距離からゲーム感覚でミサイルを撃ち込むことで、生身の人間を殺戮する実感を兵士が持たなければPTSD患者が発生することはないだろうと考えたわけです。

しかし、“テロとのたたかい”という泥沼に突入したアメリカは、イラクだけで4千人を超える戦死者を出し、イラクからの帰還兵の2割にのぼる30万人がPTSDを発症。その治療に少なくとも6,200億円が必要になっています。

そして、PTSDを発症したイラクからの帰還兵による事件が多発。ラスベガスでは20歳の帰還兵が、金をまきあげようとからんできた人間を自動小銃で殺害する事件が起きました。逮捕された帰還兵は「待ち伏せ攻撃をうけたため、訓練どおり交戦した」と言い、PTSDによって、戦場と日常生活の区別がつかなくなっての殺害事件であることが判明しています。他にもナイフで71回も人を刺した事件など、普通では考えられない残虐な殺人を、すでに100人以上の帰還兵が米国内で犯しています。

イラク戦争は、イラク人15万人、アメリカ兵4千人の犠牲者を出しただけでなく、母親兵士を含む帰還兵30万人の心を壊したのです。戦争は人間と共存できないということを、あらためて痛感させられた番組でした。


転載元: acaluliaのブログ