<span itemprop="headline">ゴッホとゴーギャン展・愛知展と300均ショップ♪</span>
オルセーの私の好きな二階のアールヌーヴォの家具やガラスの部屋はガラガラだったのに。
オランダのゴッホ美術館やパリのお墓にお参り出来ました。
ゴッホの描いた教会も見学出来ました、
墓地まで続く一本道はゴッホの世界でした。
最後にゴーギャンのひまわりが出てきます。
購入した高価な肘掛椅子。
ゴッホの椅子は夫がミニ家具で作ったような座面が編んである簡素な物。
この絵は泣かせます。
以前名古屋ボストン美術館でみたゴーギャン展で彼に対する考えが変わりました。
開館10周年記念。まずなかにし礼さんの「私の生き方を変えた1枚」のパネルが迎えてくれました。
小説家になった理由はボストン美術館でゴーギャン晩年の大作「われわれはどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」にある。この絵に出合って以来、私の生き方は変わった。人生哲学になり小説のメインテーマになった。ゴーギャンの問いかけにたいして、私たちは答えるすべもなく、永遠に立ちつくす。
小説家になった理由はボストン美術館でゴーギャン晩年の大作「われわれはどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」にある。この絵に出合って以来、私の生き方は変わった。人生哲学になり小説のメインテーマになった。ゴーギャンの問いかけにたいして、私たちは答えるすべもなく、永遠に立ちつくす。
記憶や想像から作品を制作することを好んだゴーギャン、哲学的。
ああもう一回観たくなります。
お見苦しいですが。
友人たちも同感です。
薔薇の本にもゴッホのバラの絵はのっています。緑が印象的な絵です。
販売員に聞いたら「許可されない作品もあります」と。
そうなのかなあ。
花の絵はゴッホ作。
黄色に見えるバラは庭の名残の花、メアリーローズの枝替わりのバラ「ウインチェスター・キャセドラルです。
ERアブラハムダービーの影になりながらも生き延びてます。
枝も細くメアリーローズの枝替わりとは、思えない
花の雰囲気は似ていますが。
極小庭は寒いので自然とほとんどの葉を落としてくれました。
上は愛知県美術館下の300円均一の店でゲットしたティシュカバー(ふつうは何倍もします、ヘボイけど猫柄が可愛いから)、カフェカーテン
やクッションカバー、鍋つかみも買ってしまいました。
梅津庸一「未遂の花粉」今月12日に観た黒田清輝の絵のパロディ
梅津庸一は日本における近代美術の展開とその末尾に位置する自分自身の関係を探求している作家です。例えば代表作品《フロレアル-汚い光に混じった大きな花粉-》は、フランス人画家ラファエル・コランの絵画《花月(フロレアル)》(1886年)の裸婦を模して描かれた自画像です。コランは明治時代、黒田清輝始め多くの日本人画家を指導してきました。梅津はコランという日本近代美術史の源流にまで立ち戻り、その歴史を自らの身体を通して再解釈しています。
展覧会タイトルの「花粉」とは、梅津にとって芸術家が別の芸術家に様式や感性の影響を与える際の媒介物を意味します。この「花粉」は既存の枠組みや時代の隔たりを越えてふわふわと漂い、思いもかけぬ形で実を結びます。梅津の絵画作品と愛知県美術館所蔵の近代洋画を共に並置することで、美術史の中を縦横無尽に飛散する「花粉」の存在を浮かび上がらせ、その行き着く先を共に見つめることができればと思います。(プレスリリースより)
木村定三コレクション、常設展もご覧になれます。
ゴッホのバラの絵