riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

東山動物園のライオンの病気

平成24年6月18日に東山動物園で35年ぶりに誕生した双子のライオンの愛称を昨日(10月14日)の命名式にて発表しました。
愛称はオスが「ソラ」、メスが「ステラ」です。
愛称募集期間中には本当にたくさんの投票をいただきました。ありがとうございました。
また、昨日の命名式にもたくさんのお客様に足をお運びいただきありがとうございました。
これからの2頭の成長をあたたかく見守ってください。
 
 
 
画像(320x213)・拡大画像(640x427)
平成27年5月12日朝、ライオンのステラが亡くなりました。これまで、たくさんの来園者の方々に可愛がっていただき、御礼を申し上げます。
そして、たくさんのお悔やみの花をいただきありがとうございます。

2013年の春からステラの頸部に腫瘤が見つかりました。超音波やレントゲン等の検査を行いましたが、順調に成長していたのでその経過を観察してきました。

大型の猛獣等の検査や処置には、ペットの犬や猫と違い麻酔等が必要です。事前に正確な体重を測定できることはまれで、まず体重にあった適正量を投与すること自体が難しいです。
未成熟や病気の動物への麻酔はそのものに大きなリスクがあり、しかも何度も行うことはできません。このため、麻酔下で精密な検査を行うにも我々の覚悟と準備が必要となります。
最近とくに、ステラの腫瘤が大きくなってきました。たくさんの方々からもご心配をいただいており、腫瘤による悪影響や破裂するなどの事態が想定されたので、ステラの処置を決断しました。

首にできた腫瘤は、良性の甲状腺腫瘍という非常に珍しい症例で、摘出できたとしても、生涯、適正量のホルモン剤投与を続ける必要があります。
摘出することはできましたが、腫瘍が太い静脈に付着し手術中の出血が多かったことや、麻酔の影響、内分泌(ホルモンなどを分泌する)器官を摘出した場合には体調が急変することもあるといわれており、
これらの要因が影響して翌朝に亡くなったと思われます。

ステラの名前は一般公募で決まりましたが、その候補を私が提案させていただいたこともあり、特別な思いがあってとても残念です。
しかし、ステラが我々にこの症例とめぐり合わせてくれた意義はとても大きく、今後の動物園での飼育や診療に役立てなければと思っています。


動物園指導衛生係  茶谷 公一
 
 
<いのちの系譜 東山動植物園80年>(4) 手紙 
2017/3/21 紙面から
雄ライオン「ソラ」の前で、子どものころからの思い出を話す稲田正俊さん=名古屋市千種区東山動植物園
 一九四九(昭和二十四)年三月十七日。今から六十八年前のこの日、東山動植物園に一通の手紙が届いた。
 「ぼくはライオンがみたい。どうぶつをかうときにいっしょにつかってください」
 差出人は六歳の幼稚園児。ためたお小遣い百円の定額小為替が同封されていた。手紙を読んだ初代動物園長の北王英一さん(故人)はすぐに、動物の絵はがきにメッセージを書いて返信した。
 「あなた以上に私がもう一生懸命です。しばらく御待ち下さい」
 その絵はがきを、名古屋市昭和区の稲田正俊さん(74)は今も大切に持っている。幼いころの思い出が詰まった「宝物」だ。
 東山は戦時中、軍から「空襲被害で猛獣が逃げ出すと危険だ」と命令され、飼育していたライオン三頭を銃で撃つなどして殺した。動物を守るはずの園がやむなく命を奪った暗い歴史。戦後もしばらくライオンは不在で、幼稚園の遠足で訪れた稲田さんは「みたい」という気持ちを手紙にしたためた。
 園長の返信から四カ月後。東山に五年ぶりとなるライオン一頭が米国からやって来た。稲田さんは母親と見に行き、願いをかなえた。「やっぱりライオンは動物園の顔。子どもながらに、強くてたくましい百獣の王の姿にあこがれた」
 その後も飼育を続けてきた東山に二〇一二年六月、ライオンの子ども二頭が三十五年ぶりに生まれた。雄の「ソラ」と雌の「ステラ」。公開初日は稲田さんも大勢の来園者に交じって誕生を祝ったが、二頭は一歳を過ぎると首の甲状腺の腫瘍に悩まされた。
 原因は分からず、園の獣医師の田中喜和子さん(39)が文献を調べても症例報告はない。成長するに連れて腫瘍は膨らみ、ソフトボールよりも大きくなったステラは三歳になる前に手術を受けた。摘出そのものは成功したが翌日に急死し、残されたソラは投薬治療を受けることになった。
 飼育員の小林隆志さん(44)が馬肉や鶏肉に錠剤を埋め込み、餌と一緒に食べさせている。「できることを続けていくしかない」。決して治ったわけではないが、薬が効いて腫瘍は半分以下の大きさになった。病気で遅れていた体の成長も進み、たてがみがようやく生えそろってきた。
 ソラが過ごすライオン舎の運動場は柵がなく、来園者が堀を挟んで自然に近い姿を眺めることができる。八十年前の開園時に造られた歴史ある施設だ。
 子どものころからこの場所を見つめてきた稲田さんは、今も時折、孫を連れて訪れる。「生き物に接することで人は多くのことを学ぶ。自分も東山に育てられた一人だから」
 人にも動物にも同じように命がある。視線の先で、ソラはきょうも病と闘っている。
 
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上の記事は中日新聞などからの引用です。最初は過去のニュースから
その頃は動物園にさほど関心がなくこぶの出来たステラの写真も知らなかった。
甲状腺と言えば私は機能亢進症、二回目の発病には驚きました。
 
足が鉛のように重くて一度しゃがむと立ち上がれない、最初の発病は精神的な物が多かった、体重はガタ減り。24時間マラソンしているような病気。
 
 
入院中は一時のども凄く腫れてきて食道が圧迫されていました。
若い時はなかなかこの病気が発見できなかった、ちょっと疲れやすいとは思っていて帰宅部でした、一度寝てから又宿題するとか。
 
今は血液検査ですぐわかります。昔は変な人とか言われて衰弱死したのかも。
 
もう甲状腺の薬を止めることは考えられません。
 
猫にも甲状腺の病気があると言うので同じ猫科のライオンにも出たのか。
 
戦時中ゾウは馬の飼料を貰って生き延びました。
軍人も忍び難かったのでしょう。