善勝寺の花桃と郡上一揆
花☆花ミステリーツアー、ミズバショウ、芝桜の次は
善勝寺の花桃鑑賞です。
ここも驚きました。花だけでなく郡上一揆の義民のお墓があったのです。
郡上八幡の2年間思い出したので。
郡上踊りかわさきの歌詞
郡上のナー八幡 出ていく時は(ア ソンレンセ)
雨も降らぬに 袖しぼる
(袖しぼるノー袖しぼる)アソンレンセ(雨も降らぬに袖しぼる)
雨も降らぬに 袖しぼる
(袖しぼるノー袖しぼる)アソンレンセ(雨も降らぬに袖しぼる)
この歌に農民の闘いの姿が~
郡上一揆(ぐじょういっき)は、江戸時代に美濃国郡上藩(現岐阜県郡上市)で宝暦年間に発生した大規模な一揆のことである。郡上藩では延宝年間にも年貢引き上げに藩内部の路線対立が絡んだ一揆が発生したが、一般的には郡上藩主金森氏が改易され、老中、若年寄といった幕閣中枢部の失脚という異例の事態を招いた宝暦期の一揆を指す。
郡上一揆の顕彰碑はあちこちにあるようですが、ここでめぐりあえるとは、添乗員も歴史通というドライバーも御存じなく、
お参りしたのは私だけ。
その時が来た今も
岐阜市の山下澄美子と湯下堅也は
「この観音像と35の墓碑は
高鷲村出身の山下伸二と母ハルヱが自費で
建立
観音像青銅製では富山に特別注文
牢死した円七は父の祖父の三代前の円七で
父方の先祖も義民だった。
ある時父はこの二人の夢を観て墓碑を立てることを決意した。